日本プロ野球史上最高のホームラン打者は誰か。
その答えはプロ野球最多の868本塁打を放った王貞治氏で決まりだ。
では、平成最高のホームラン打者は誰かと問われれば、その答えは分かれる。
松井秀喜、金本知憲、中村紀洋、松中信彦ら歴史に名を残すホームランアーチストの名前が上がります。
これら既に引退した打者と肩を並べるホームラン打者が今日お話する中村剛也選手。
単純な通算本塁打数を比べるとまだまだレジェンドには及ばないが、獲得した本塁打王のタイトル数を見れば、平成最高の名が与えられてもおかしくはありません。
通算6度の本塁打王タイトルは王貞治氏の15回、野村克也氏の9回に次ぐ3位の記録。
平成に限れば中村選手が最多。
※平成2位がT・ローズ氏の4回、同3位が松井秀喜氏らの3回。
今日は2017年に、史上29人目の350号本塁打の記録がかかる中村剛也選手の魅力について語っていきます。
- 中村剛也選手とは
- 愛称はおかわり君 クレヨンしんちゃんに本人役で出演経験有り
- 統一球時代に示した異常な本塁打数
- 規定打席到達=本塁打王 3年周期の本塁打王伝説
- 天性のホームランアーチストではない? 恩師大阪桐蔭高校の西谷監督の証言
- 中村選手に学ぶ ホームラン打者になるための三つの技術
- 最強の愛妻家 妻の誕生日9月10は見逃せない
- 走れる巨体 走塁の上手さは天下一品
- 12球団本拠地全てで本塁打
- まとめ
中村剛也選手とは
埼玉西武ライオンズ所属のプロ野球選手。
名門大阪桐蔭高校出身。
2001年のドラフト会議で西武ライオンズから2巡目指名を受け、入団。
西武の後輩岡田雅利、浅村栄斗、森友哉は高校の後輩。
若い頃から二軍で本塁打王を獲得するなど天性の長打力を発揮。
2008年に46本塁打で自身初の本塁打王を獲得。
その後、2009年、2011年、2012年、2014年、2015年にも本塁打王のタイトルを獲得。
通算6度の本塁打王獲得はプロ野球史上3位。
打点王も3度(2009年、2011年、2015年)獲得。
打者三大タイトルと言われる本塁打王、打点王、首位打者の合計獲得数9回は史上7位。
平成ではイチローの8回を抑えて1位。
また満塁に滅法強く、通算満塁本塁打数は史上1位の16本。
長年記録を持っていた王貞治氏の15本を、32歳のシーズンに更新した。
2017年7月19日のソフトバンク戦で、通算350本塁打を記録。
愛称はおかわり君 クレヨンしんちゃんに本人役で出演経験有り
100kgを超える巨体からついたあだ名はおかわり君(本人が好きな言葉を聞かれて「おかわり」と答えたことに由来)。
「カレーは飲み物」と語ったこともあります。
所属する埼玉西武ライオンズと人気アニメ「クレヨンしんちゃん」の舞台が埼玉県春日部市であることからクレヨンしんちゃんに本人約として声優出演。
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統一球時代に示した異常な本塁打数
中村剛也選手の存在が一気に高まったのは2011年の統一球シーズンで見せたパファーマンス。
従来よりも飛ばないボールに多くの打者たちが苦しめられた。
そんな中で中村剛也選手はボールの変化をものともせず、本塁打を量産。
自己記録タイの48本塁打を放ち、本塁打王と打点王の2冠を達成。
中村選手が記録した48本塁打数は千葉ロッテマリーンズのチーム本塁打数の46本を2本上回る珍記録。
個人の本塁打数がチームの本塁打数を上回るのは、1954年に西鉄の中西太(31本)氏と毎日の山内一弘(28本)氏が近鉄の27本を上回って以来の57年ぶり3度目の記録。
また、本塁打数2位のソフトバンク松田宣浩選手とは23本差。
これは1966年に王貞治氏が記録した22本差を上回る新記録。
中村選手1人でパ・リーグ全体の10.57%の本塁打を放った。
これは1953年の中西太氏の9.33%を上回っており、10%以上となったのは2リーグ分裂後初。
しかもこの年は試合中の死球の影響で左手に力が入らない中で、試合に臨んでいたのだから驚き。
「左手に、まったく力が入りませんでした。右手一本でバットを振らざるを得ない状態です。でもそんな状態で臨んだ翌日の試合で、納得のいく本塁打が打てた。左手は使い物になりませんから、右手に力を入れてバットをより前に押し込めたんです。そこで、ハッキリ認識しました。『ああ、統一球を飛ばすにはこの右手を押し込むイメージが重要なんだな』と」
引用:Close up 中村剛也西武ライオンズ 「僕が本塁打を 量産できた理由」(フライデー) | 現代ビジネス | 講談社(3/4)
多くのホームラン打者が軒並み成績を下げる中で、中村選手だけ変わらぬ成績を残したため、中村選手は非常に高い評価を受けています。
規定打席到達=本塁打王 3年周期の本塁打王伝説
中村剛也選手の凄さを表す伝説の一つに「規定打席到達=本塁打王」がある。
中村選手は故障が多い選手でもあり、プロ通算14年間で規定打席に到達したのが6だけ。
ここで既にお気づきの人がいるかと思いますが、中村選手の通算本塁打王獲得数は6度。
実は中村選手は「規定打席到達=本塁打王」の選手なのです。
つまり言い換えれば体調が良ければ必ず本塁打王を取れる選手なのです。
あの世界の本塁打王、王貞治選手でも規定打席に達した21シーズンで本塁打王は15回、本塁打王をとる確率は71.4%。
中村選手の「規定打席到達=本塁打王」がいかに凄いことか伺えます。
レギュラー定着した2008年以降、中村選手は奇妙な本塁打王獲得の法則を見せています。
【中村剛也選手の本塁打王獲得の法則】
2008 本塁打王(規定到達)
2009 本塁打王(規定到達)
2010 規定未達
2011 本塁打王 (規定到達)
2012 本塁打王 (規定到達)
2013 規定未達
2014 本塁打王 (規定到達)
2015 本塁打王 (規定到達)
2016 規定未達
2017 本塁打王を逃す (規定到達)
ご覧の通り、中村選手は2年連続で本塁打王を獲って、翌年規定打席未達を3回繰り替えしているのです。
単純に考えればこのままいけば2017年は獲得する周期。
中村選手は2017/5/2時点でリーグ1位と1本差の2位につけています。
法則通りに本塁打王を獲得できるかに注目です。
※2018/1/5追記
惜しくも2017年は本塁打王のタイトルを逃し、法則通りにはいきませんでした。
天性のホームランアーチストではない? 恩師大阪桐蔭高校の西谷監督の証言
中村選手の欠点の一つが打率の低さ。
プロ通算打率が.256。
一度も打率3割に達したことがなく、最高でも.285(2009年)です。
この数字だけ見れば中村選手は元々ミートには優れていない選手にも見えます。
しかし中村選手の高校時代を知る大阪桐蔭高校の西谷監督は全く異なるイメージを持つそうです。
「一言で言えば柔の中村、剛の中田。中村は、彼が中学の時にはじめてバッティングを見たのですが、その時に変化球を見事な打ち方でヒットにしたんです。あとで聞けば、変化球を待っていたという。そんな待ち方をする中学生はほとんどいないですから、本当に驚きました。
プロではホームランか三振というイメージもありますが、僕の中では遠くへ飛ばすというより上手いバッターとういうのが一番。
とにかく体の使い方が柔らかく、懐(ふところ)深く呼び込んで確実にとらえる。
だから、実際には三振もしているのですが、その印象がまったくないんです」
引用:【プロ野球】柔の中村剛也、剛の中田翔。大阪桐蔭高時代の恩師が語る『ふたりのホームラン王候補』|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
意外なことに中村選手のミート力を高く評価しています。
別のインタビューでは本来3冠王も狙える選手と言っています。
なぜこんなことが起きるのか。
原因の一つに中村選手が本塁打を求められる立場にあったことが大きいでしょう。
打率は犠牲にしても自分が求められる役割に徹する。
これと似ているのがイチロー選手。
イチロー選手は打撃練習では本塁打を連発する選手として知られています。
また多くの関係者が本塁打を狙えば打てるとも証言しています。
しかしイチロー選手自身も『2割2分でいいなら40本打てる』と冗談交じりに答えています。
この言葉の意味は自分が求められる役割は出塁であり、最も才能を発揮出来るのも出塁。
中村選手も狙えば3割は打てるでしょう、本塁打10本でいいなら。
しかし、それは求められる数字ではない。
だからこそ中村選手はプロ入り後本塁打を放つ技術を磨いてきたのです。
自分の役割を理解して、日々鍛錬した結果今のホームランバッターとしての中村選手があるのです。
中村選手に学ぶ ホームラン打者になるための三つの技術
- 軸足を浮かせて腰の回転速度を上げる
- フライを打つ練習をする
- 滑るシューズを使う
はっきり言ってどれも素人にはおすすめ出来ません。
特に1です。
一般的にボールに力を加えるためには軸足に体重を乗せるのが良いとされます。
代表的な打者は松井秀喜氏、ラミレス氏など。
しかし、中には軸足を浮かせることで腰の回転速度を高める選手がいます。
日本だと阿部、大谷翔平選手、メジャーだとブライス・ハーパー選手など。
この打ち方は高度な技術と強靭な肉体があってはじめて出来るフォームです。
実際大谷選手は子どもにはおすすめ出来ない打ち方だと語っています。
大阪桐蔭の後輩選手ですら会得出来なかった技術でもあります。
(打者のタイプによって合う合わないがあるので、ここでは中田翔選手の技術が低いということではありません。)
どちらかというと野球観戦時の鑑賞ポイントとして覚える方が良いです。
残りの二つもプロの中村選手だから許される練習スタイル。
2はバックスピンをかけて本塁打を打つための練習。
そのため中村選手は練習でもゴロは打たないそうです。
3は滑りやすいアップシューズなどを使って下半身をあえて不安定な状態にするそうです。
そうすることで状態が崩されてもボールを上手く捉える練習になるそうです。
実際中村選手はよく変化球(特にカーブ)でタイミングを外されても、しっかり溜めて本塁打にするケースがあります。
それはこの滑るシューズで練習をした結果なのです。
西谷監督が語っている「柔の中村」選手だからこそ出来る芸当なのです。
最強の愛妻家 妻の誕生日9月10は見逃せない
中村選手は2008年に元モデルの女性と結婚されています。
奥様の誕生日は9月10。
実は中村剛也選手は結婚後、奥さんの誕生日に数多くの本塁打を放っています。
【奥さんの誕生日の成績】
2008 本塁打
2009 本塁打
2010 本塁打2本
2011 本塁打
2012 試合なし
2013 本塁打
2014 ノーヒット
2015 試合なし
2016 本塁打
なんと結婚以降に奥さんの誕生日に試合があった7試合の内6試合で本塁打を放っているのです。
2017年の9/10は本拠地メットライフドームで試合が開催(日曜日)されます。
中村選手の本塁打を見たい人は是非球場に駆けつけましょう。
走れる巨体 走塁の上手さは天下一品
意外と言っては失礼だが、中村剛也選手は走塁に優れる選手でもある。
50mのタイムは6秒3。
かつてコーチを務めた笘篠誠治は「打撃センスはともかく、走塁のセンスには非常にずば抜けているものがある」「走塁に興味を持てば、球界でも上位クラスにもいけるのでは」としている。
また、チームメイトだった平尾博嗣からは「動けるデブ。体重100kg以上の人の運動会があったら間違いなく1位」と評されている。
前監督である渡辺久信氏も中村選手の走塁を高く評価している。
「球場に来たらおかわり君の走塁技術を観て欲しい」
引用:寛容力
中村選手の大阪桐蔭高校時代の一つ下の後輩に現阪神の西岡剛選手がいます。
プロ入り後盗塁王二度(2005、2006)にも輝くスピードスターの西岡選手。
その西岡選手が高校入学後、大阪桐蔭高校のコーチに「一番走塁がうまい選手」を聞くと、聞かれたコーチが中村剛也選手と答えたというエピソードもあります。
12球団本拠地全てで本塁打
2017年に中村選手はまた新たな記録をうちたてた。
「手応えはよかった。いい打球だった。打ててよかったなってくらい。特別な感情はないです」
6月14日に甲子園で行われた阪神タイガース戦で14号本塁打。
この本塁打で中村選手は12球団の本拠地全球場で本塁打を放ったことになった。
名門大阪桐蔭出身ながら高校時代は聖地甲子園での本塁打はゼロ。
プロ通算甲子園77打席目で待望の初アーチが飛び出しました。
打球は珍しく右中間。
33歳のシーズンでもまだまだ進化を続ける本塁打キングの打撃に目が離せません。
まとめ
不世出のホームランアーチスト中村剛也選手の凄さと魅力をお分かり頂けたでしょうか。
今後も数多くの本塁打を放つことが期待される中村選手。
いつまでもあの美しい放物線を観ていたいです。
それでは、さようなら!