ショックで言葉出てこない....
先日の永射保さんに続いてまたもライオンズのレジェンドがお亡くなりなられるとは...
目次
西武・森慎二投手コーチが多臓器不全で死去
西武の森慎二1軍投手コーチが28日12時10分、多臓器不全のため、入院先の福岡市内の病院で死去した。42歳だった。この日の試合後、球団が発表した。
選手たちへの影響を考慮して、選手たちには試合終了後に伝えられたそうです。
森コーチがなくられた28日に行われた試合でライオンズは白星で飾ることは出来なかった。
辻監督もショックの色を隠せずにいた。
試合前に訃報を伝えられた辻監督は「数日前まで一緒にやっていた。優勝目指してやってきた仲間。ショックですね。辛いです」と目を真っ赤にして涙をぬぐっていた。
死去から1週間後、死因は溶連(ようれん)菌の感染による敗血症であったことが遺族の話で明らかになった。
森コーチの父親によると「本人の死因に関しては、毒性の強い溶連菌の感染による敗血症でした。最後に(福岡の病院で)本人と話をしたのは山口から駆けつけていた私だけ。母親とお嫁さんは東京からだったから間に合わなかった。手術室に入る前、本人は少し手などはむくんでいたけど『行ってくる』と普通に話をしていたぐらい。まさかそれが最後の会話になるとは思わなかった」と本紙に打ち明けた。
二日前に発表された突然の病気休養
森コーチの病気休養は27日に突然発表された。
プロ野球・西武は森慎二投手コーチが体調不良のため休養し、代わりに西口文也2軍投手コーチが1軍に合流することを発表しました。
球団によりますと、森投手コーチは今月25日まで福岡市のヤフオクドームで行われたソフトバンクとの3連戦の間はチームに同行していましたが、その後、体調不良を訴えたということです。
渡辺久信シニアディレクターは「詳しい病名はまだわからず、これから検査を受けることになっている。すぐに復帰することは考えづらいため、西口コーチが合流する」と話していました。
突然発表されたことと病名が伏せられていたため、多くのファンが心配する中、想像しうる中で最悪の結果となってしまった。
多臓器不全とは
人間には生命を維持するために7つの重要な臓器があります。その7つとは、腎臓、肝臓、心臓、血液系、消化器系、神経系、呼吸器系になります。
それぞれとても重要な役割を持っているため、1つでも十分に働かないと健康な生活を送ることはままなりません。これらの臓器が2つ以上働かなくなってしまった状態を多臓器不全といいます。
引用:多臓器不全は危険な疾患!【原因や症状・回復方法を紹介!】 | ヘルスケアPOCKET【医師・薬剤師監修 病気の症状・原因・治療法を解説】
【多臓器不全の5つの原因】
- 感染症の悪化
- 飲酒や喫煙
- 傷
- 免疫低下
- 便秘
各臓器の機能不全を個々に治療することはできるものの、関連して同時に発生した場合、個々にに対処していく以外に治療法がないと言われています。
最近では俳優の渡瀬恒彦さん、演出家の蜷川幸雄さん、元横綱の北の湖さんらが多臓器不全で亡くなられています。
森・豊田の勝利の方程式は21世紀ライオンズ史上最高
森投手の現役時代と言えば、150キロを超える直球と落差のあるフォークボールで勝負するリリーフ投手でした。
若い頃は長髪がトレードマーク。
端正なルックス、 189 cmの長身、高く足を上げたフォームなどが魅力的な選手。
よく子どもの頃に森投手の投げ方を真似したものです。
略歴
1996年にドラフト2位で西武ライオンズに入団。
1998年に52試合に登板8勝8敗5セーブを記録しリーグ連覇に貢献。
2000年には初めて抑えに定着して自己最高の23セーブを挙げ、防御率1.83を記録。
2002、2003年には2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
特に8回セットアッパー森、9回クローザー豊田で締める勝利の方程式は21世紀のライオンズ史上でも最強のリレーでした。
【2002、2003年の森・豊田】
森慎二
2002年:71試合 6勝7敗1セーブ 78.1回 奪三振102 防御率2.07
2003年:61試合 7勝3敗2セーブ 78.1回 奪三振92 防御率2.31
豊田清
2002年:57試合 6勝1敗38セーブ 57.1回 奪三振66 防御率0.78
2003年:58試合 2勝3敗38セーブ 58.0回 奪三振54 防御率1.24
歴代埼玉西武ライオンズベストナイン 【1998~2016年編】
2006年にはポスティングシステムによるメジャーリーグ挑戦を表明し、タンパベイ・デビルレイズと2年契約。
しかし、移籍1年目の2006年に、初登板したオープン戦で3球目を投げたとき右肩を脱臼して全治1年を要する重傷を負う。
結果的にマイナーリーグ公式戦にも一度も登板できぬまま、デビルレイズからメジャー契約を解除される。
日本帰国後は2009~2014年までBCリーグ・石川ミリオンスターズの選手兼任投手コーチ、監督として活躍。
2015年より埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチに就任。
2016年からは一軍投手コーチ(ブルペン)に就任しました。
苦労人の早すぎる死
華々しい20代の頃の活躍から一転、晩年はけが人に悩まされた森コーチ。
選手晩年はケガで思うようにプレーできませんでしたが、その時の苦労や経験が後の指導者として大いに活かされていました。
森コーチと同タイプの大石達也投手はインタビューでことあるごとに森コーチの名前が出てきます。
「筋力的には大学時代よりも今のほうがついていると思うので、やはりフォームのタイミングが要因だと思います。今シーズンは体重移動がうまくできていて、上半身と下半身のタイミングが合ってきたことで、球の強さにつながってきていると思います。体重移動はずっとやってきたことなんですけど、今年のキャンプで、森慎二投手コーチとトレーニングをやってきて、それがやっと自分のものになってきたと思います」
引用:西武大石が激白、どん底からの“復活”「余裕はない。結果を残すしかない」 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―
躍進の裏に森投手コーチと春季キャンプから取り組んだ、「肩に負担がかからない投げ方」の習得がある。
「肩の痛みが消え、体重移動がうまくできるようになった」
球に力が伝わるようになり、直球の威力がアップ。14年には130キロ台後半だった球速も今季は常時141~142キロ、力を入れれば140キロ台後半を計測するまで戻りつつある。
だが、「まだ良くなっている最中」だと師弟とも口をそろえる。
引用:西武 大石達也投手・来季のセットアッパーへ | 週刊ベースボールONLINE プロ野球・ドラフト注目選手のコラム・インタビュー・戦力分析・予想・試合レポートなど徹底取材
不調のどん底にあった大石投手を二軍時代から二人三脚で支えた森コーチ。
剛速球、落差のあるフォーク、高身長(大石185、森189)、右肩痛持ち
多くの共通点を持つ二人だからこそ、悩みがわかり、改善点がわかったのでしょう。
西武大石達也投手は復活から覚醒へ 怪我から這い上がった6球団競合右腕の逆襲
その大石投手は5月から首痛で2軍落ちしていましたが、6/23に1軍復帰。
結果的に最後となった森コーチとの試合で1回を無失点に抑え、師匠にたくましくなった姿を見せることができました。
大石投手以外にもリリーフ経験豊富な森コーチの存在は今シーズンのライオンズリリーフ陣が好調な要因の一つでした。
最高の人材の早過ぎる死がただただ残念でなりません。
まとめ
子どもの頃のヒーローの早過ぎる死。
今まで様々な感動をありがとうございました。
ライオンズへの多大な貢献に本当に感謝しています。
森コーチのご冥福をお祈りします。
それでは、さようなら!