2017年時点で夏の甲子園優勝経験がない都道府県は19。
長崎県勢の最高はベスト4....
どうも、長崎県出身の野球好きのはろーぐっばいです。
野球好きの中には当然高校野球も含まれています。
そこで今日は長崎県民の私が選ぶ長崎の高校野球強豪校ランキング!を紹介させて頂きます!
高校野球ってよその県外の人からはわからない、その県、地域ごとの格みたいなものが存在します。
古豪、名門らの伝統校から、強豪、新進気鋭の実力校などの新興勢力。
大阪、神奈川、東京、愛知のような誰もが知るような超有名校があるわけではありませんが、長崎にだって各学校に伝統とプライドが存在します。
ユニフォームで威圧出来る、球場に入ってきただけで観客の目線が変わる高校もあります。
出場実績や輩出されたOB、県内での格などの観点から強豪ランキングをご紹介していきます。
はじめに長崎県の高校野球事情についてざっくり説明しています。
興味がない方は飛ばして頂いて、ランキングをお読みください。
- 長崎の高校野球事情
- 8位 創成館高等学校
- 7位 長崎県立波佐見高等学校
- 6位 佐世保工業
- 5位 佐世保実業高等学校
- 4位 長崎市立長崎商業高等学校
- 3位 長崎日本大学高等学校
- 2位 長崎県立清峰高等学校
- 1位 海星高等学校
- 2017年の夏の高校野球長崎県大会情報と結果
- まとめ
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長崎の高校野球事情
冒頭お伝えした通り、長崎県勢はまだ夏の甲子園で優勝したことがありません。
過去最高は昭和51年の海星高校、平成19年の長崎日大のベスト4です。
夏の甲子園通算では99戦37勝62敗、勝率.374と大きく負け越しています。
勝率は47都道府県中40位。
お世辞にも野球に関しては強豪県とは言えない県です。
選抜は清峰高校が2006年に準優勝、2009年に優勝しています。
2017年の選抜決勝は大阪桐蔭VS履正社の大阪府勢対決で話題を呼びましたが、長崎県勢で選抜出場するのは非常に珍しいことなんです。
選抜の甲子園はこれまで88回あったにも関わらず、県勢通算で23回しか出場したことがありません。
今年は平成28年ですが、平成に入ってからも10回しか出場しておらず、過去選抜に長崎県の高校が2校以上同時に出場したこともありません。
春・夏連続出場したことも8回しかありません。
そのため、長崎県民にとって甲子園とは基本的に年に一度の風物詩なのです。
また長崎県は飛び抜けた県を代表する強豪校がありません。
和歌山の智弁和歌山、高知の明徳義塾のように一つの高校が連続して出場することもないです。
大体2~3年、長くても4~5年強い高校が現れたら、別の高校が強くなって元々強かった高校が衰退しての繰り返しです。
そのため、連続出場記録は昭和36年~43年にかけて海星高校が6回連続で長崎県代表になっているのが最高。
次点で昭和46~49年の海星、平成10~12年の長崎日大の3大会連続です。
連続出場するチームが現れない要因の一つとして挙げられるのが、長崎県の中学校野球児は基本的に今の強豪に行きたがらないからです。
”下級生のうちから試合に出られない”ことを敬遠する傾向にあるのがその原因。
そのため、Aの高校が強くなるとBの高校が「うちならすぐに試合に出られるぞ」と有力選手に声をかけるということがよく起こります。
また、長崎県は硬式野球のリトルシニアの文化が根付いておらず、基本的には小学生の頃はソフトボール、中学生になると軟式野球をするのが一般的です。
そのため、即硬式で通用する選手があまり出てこず、基本的に3年スパンで選手を育成していきます。
その結果常に強いチームが出てこず、2~3年周期で強豪校が入れ替わるのです。
それと長崎県の高校野球チームはほとんが長崎県出身の選手で構成されています。
県外の有力選手を引っ張ってくる文化があまりないのも、継続して強いチームが生まれない要因の一つです。
過去に甲子園で活躍したチームもほとんが県内出身者です。
稀に福岡のボーイズリーグの選手が野球留学をするケースもありますが、県外選手を中心に構成されたチームで結果を残したチームはありません。
後にプロで活躍している大瀬良大地、今村猛投手などのドラフト1位級の選手でも長崎出身で県内の高校に進学しています。
8位 創成館高等学校
近年最も実力をつけている新進気鋭の実力校です。
2013年の第85回記念選抜高等学校野球大会に学校創立51年目(前身の九州経営学園高等学校 協立高等学校を含めて)に甲子園初出場。
甲子園初出場が選抜という非常に珍しい形になりました。
翌年の2014年の選抜にも出場し、県勢初の2年連続選抜出場の快挙を達成しました。
2015年には悲願の夏初出場。
また、奈良の名門天理高校を一回戦でサヨナラで下し、選抜含めて甲子園初勝利を達成しました。
この時サヨナラ打を放った鷲崎選手はプロも狙える逸材。
2016年から近畿大学に進学しています。
3年後のドラフトが今から楽しみな逸材でもあります。
この勝利が県勢春夏通算60勝目の記念すべきものとなり、この日は奇しくも8月9日(長崎に原爆が投下された日)。
ちなみに現在長崎県勢は8月9日に行われた甲子園の試合で4連勝中です。
今後8月9日に長崎県のチームが試合するときは色んな意味で注目してみてください。
創成館高校は仙台育英(宮城)、駒大苫小牧(北海道)、天理(奈良)、健大高崎(群馬)と出場した3大会でいずれも全国の超名門高校と対戦しており、くじ運が悪いのも特徴的です。
有名校と対戦するのはそれだけ注目されるので、ある意味ではくじ運が良いのかもしれませんが....
一発や剛速球投手がいるわけではありませんが、長崎県のチームらしく、堅実な守備と手堅い攻撃、そつのない走塁で勝利をもぎ取るスタイルが特徴的です。
2017年には、神宮大会で優勝候補の大阪桐蔭を撃破して、話題になりました。
2018年の春の選抜出場も決定し、今一番勢いのある長崎県の高校野球チームです。
速報【2018春の選抜甲子園】出場高校一覧と注目選手!優勝予想と展望も
7位 長崎県立波佐見高等学校
長崎県の伝統工芸品である波佐見焼。
その波佐見焼を製造する工房群がある波佐見町に波佐見高等学校があります。
長崎県のチームにしては珍しく豪打を売りにするスタイルが特徴的なチームです。
大阪桐蔭、日大三高のように丸太のような腕と太ももの猛者が多いのが特徴的。
ユニフォームのピチピチ具合は県内屈指です。
甲子園出場は夏3回、春1回。
平成8年には甲子園ベスト8入りを果たしています。
その躍進には熱血指導で有名な得永祥男元監督、息子の得永健さんのチーム改革がありました。
元々、得永祥男さんは佐世保工業監督時代に春2回・夏2回の甲子園出場を果たした名将。
その手腕を買われて波佐見高校に招聘。
その期待に応え、1996年に波佐見高校を初の甲子園出場に導きました。
2000年秋にがんの宣告を受け胃を切除。
そんな中、翌年の夏に再び甲子園を果たされました。
2003年2月1日に胃がんのため死去されましたが、長崎の高校野球の発展に多大なる貢献をされた方です。
波佐見高校で一番印象に残っているのはガラスのエース新地慶彦投手。
2001年の夏の甲子園で2年生エースと活躍。
Max144キロの直球を武器にする本格派右腕で、プロのスカウトからも注目されるほどの逸材でした。
しかし、3年生の時に右ひじを故障。
3年生になった新地投手が右肘に違和感を覚えた。「エックス線もMRIも異常はなく、練習試合のゴーサインを出した」。だが、試合中に新地投手は「骨がずれる音がした」。異変が起こった。
引用:龍〜なが 長崎新聞ホームページ:【選抜高校野球大会】全力プレー支え続ける 波佐見・重松康志トレーナー (3月27日)
2002年の波佐見高校は前年の甲子園メンバーが10人以上残るなど非常に強力なチームでした。
得永監督も「どこからでも本塁打を狙えて、140キロを超える速球を持つエースがいる理想的なチーム」とおっしゃっていただけに非常に高い注目を浴びていました。
もし新地投手の怪我がなかったら長崎県史上最強のチームが誕生していたかもしれません。
2011年の選抜で、現阪神の松田遼馬投手擁する波佐見高校は東の名門横浜高校を撃破しました。
新地投手の活躍から10年の時を経て、同じ右の本格派が活躍しているのを見て、新地投手を思い出さずにはいられませんでした。
波佐見高校は平成になってから石橋尚登(元広島、阪神、西武)、大平成一(元日本ハム)、松田遼馬(現阪神タイガース)らのプロを安定して輩出するなど選手育成にも定評があります。
6位 佐世保工業
略称は「佐工」(さこう)
春3回、夏4回甲子園に出場している伝統校です。
最後の甲子園出場が1983年なので、くくりとしては古豪にあたります。
最高は春のベスト8で、甲子園通算4勝。
1983年にベスト8に進出した時のエースが現阪神タイガースのコーチ香田勲男さんです。
甲子園の活躍が評価されて1983年にドラフトで巨人に2位指名されました。
前述した波佐見高校の得永祥男さんは佐世保工業監督時代に、当時長崎高校野球界の中心にいた「打倒海星」をスローガンに掲げ猛練習。
1966年西九州大会決勝、1968年長崎大会決勝と甲子園出場をかけた試合でいずれも海星に敗れる苦杯を舐めさせられましたが、1974年の西九州大会決勝で海星を破り優勝。
この勝利で県北勢初の甲子園出場となりました。
得永監督は1982年に波佐見高校へ異動。
得永監督が指導された生徒が卒業した1984年以降佐世保工業は甲子園出場から遠ざかっています。
2016年のドラフト会議では野元浩輝投手が東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目指名。
佐世保工業から33年ぶりにプロ野球選手が誕生したことで県内で話題になりました。
いつか同じ長崎県出身の広島カープの大瀬良大地(長崎日大)、今村猛(清峰)投手と投げ合って欲しいものです。
5位 佐世保実業高等学校
略称は「佐実」(さじつ)
春1回、夏5回甲子園出場。
現巨人の1軍バッテリーコーチ・村田善則選手擁する1992年の夏の大会で常総学院との延長11回の死闘の末、最後に4番の村田選手がサヨナラスクイズを決めた試合を覚えている県民は今でも非常に多いです。
ちなみにこの村田善則選手と元ホークスの城島健司選手は生まれも育ちも長崎県佐世保市。
実は二人は同じ中学校で同じ野球部の先輩・後輩だった間柄(年齢は2歳違いで村田さんが上)です。
2000年の巨人VSダイエーの日本シリーズでは世間がON対決と騒いでいる中、佐世保市民は佐世保出身のキャッチャー対決だと騒いでいました。
話はそれましたが、実はこの村田選手には年の離れた弟さんがいらっしゃって、その弟の村田金彦さんも佐世保実業でプレイされていました。
お兄さんの善則選手が出場した1992年以来同校12年ぶりの出場となった時のキャプテンが村田金彦さんでした。
兄同様甲子園で勝利とはなりませんでしたが、その大会で優勝することになる駒大苫小牧戦で先制ソロ本塁打を放ったのが印象に残っています。
惜しむらくは2013年の不祥事。
2012、2013年と連続して夏の甲子園大会に出場していた佐世保実業。
その陰には長崎県の高校野球界でも屈指の指導力を誇る清水監督の存在がありました。
清水監督は清峰高校時代に、2006年センバツ初出場で準優勝、そして2009年にはセンバツで優勝を果たしました。
ドラフト1位投手古川秀一(元オリックス)、今村猛(現広島)を輩出するなど投手力の育成に定評があった方です。
しかし、残念なことに2013年に野球部内で不祥事が発覚し、監督、部長が交代することになりました。
もし不祥事がなければ佐世保実業は黄金時代を迎えていた可能性があっただけに色々残念です。
不祥事からの復活に期待したいところです。
ちなみに現福岡ソフトバンクホークスの川島慶三選手も同校OBです。
4位 長崎市立長崎商業高等学校
略称は「長商」(ちょうしょう)
春2回、夏7回出場。
夏の7回出場は海星17回、長崎日大9回に次ぐ3番目の多さ。
春ベスト8が1回、夏のベスト8が1回、ベスト4が1回と優れた戦績も残しています。
長崎県の中で最も古豪という名前がふさわしい創部90年を超える伝統校です。
2016年には29年ぶりの夏の甲子園出場となり、県内では話題になりました。
平成生まれの私にはちょっとわかりづらいのですが、年配の方の中には長崎商業=強豪のイメージがあり、球場では一目置かれる存在です。
現役プロ野球選手はいませんが、プロを9名輩出した実績もあります。
ちなみに漫画家兼タレントの蛭子能収さんも長崎商業OBです。
3位 長崎日本大学高等学校
地元では単に「日大」 と呼ばれます。
ただ同日大系列の「長野日大」の略称が同じ「長日」になるため、全国的には「長崎日大」と呼ばれます。
春2回、夏9回出場。
春のベスト8が1回、夏はベスト8が1回、県勢最高のベスト4が1回。
長崎日大を語る上で欠かせないのが2人の名将の存在。
知将と呼ばれた的野和男監督のもと力を付けた長崎日大は1993年春に初出場でベスト8に進出。
さらに夏も県大会を制し、春夏連続出場。一気に強豪校の仲間入りを果たしました。
1999年にも、春夏連続出場。
夏に至っては、初出場した1993年から8年で5回の出場。
出場だけでなく、1999年に2勝、翌2000年には初の3勝でベスト8進出。
初戦敗退も珍しくない長崎県勢にあって、長崎のチームが甲子園で勝てるのは長崎日大が甲子園に行った時くらいという空気感が漂うほど県民の期待を集めていました。
長崎日大は甲子園通算で23戦12勝11敗、勝率.521と勝ち越しています。
長崎県勢の甲子園春夏通算成績は62勝84敗、勝率.424。
いかに長崎日大が奮闘しているかがこの数字から伺えます。
2004~2006年にかけて甲子園出場を逃していた長崎日大は2007年から沖縄尚学を99年春の選抜で優勝に導いた金城孝夫監督を招へい。
就任一年目の2007年でいきなり甲子園出場に導くと、見事県勢31年ぶりのベスト4の快挙を達成しました。
優勝した”がばい旋風”佐賀北高校とベスト4で九州対決が実現しました。
その時甲子園のアルプススタンドで3年生を応援していたのが、当時1年生だった大瀬良大地投手(現広島)。
3年生たちの雄姿を目に焼き付けた当時まだまだ身体が出来ていなかった大瀬良選手は肉体改造に着手。
プロ注目の逸材にまで成長した大瀬良投手擁する長崎日大は歴代トップクラスのチームと呼ばれるほどになりました。
2007年から監督を務める金城監督曰く「2007年のチームより2009年のチームの方が力は上」と語っていたほどです。
その前評判通り、長崎日大は夏の甲子園予選でその年の春の選抜王者・今村猛投手擁する清峰高校を準々決勝で下し、その後も勝ち進み見事甲子園出場を決めました。
夏の甲子園1回戦は奇しくも清峰高校が春の選抜の決勝で倒した菊池雄星投手擁する花巻東高校。
菊池投手から3本塁打を放って5点を奪いましたが、惜しくも5-8で敗戦。
2009年は後にプロ野球で活躍する菊池、今村、大瀬良の運命が交差した年でもありました。
今村投手は2009年に高卒から直接ドラフト1位、大瀬良投手は大学経由でドラフト1位指名。
長崎県予選で後のドラフト1位投手同士の投げ合いが実現したのは県民ながら奇跡としか言い表せません。
ちなみにですが、大瀬良投手の弟さんも長崎日大でエースとして活躍。
お兄さんと同じ甲子園の土を踏むことはできませんでしたが、エースとしてチームを引っ張りました。
プロ野球広島カープの大瀬良大地投手(24)が、母校・長崎日大でエースを務める弟の優人投手(3年)の応援に駆けつけた。
遠征地の神戸から始発の新幹線に乗り込んだが、到着したのは七回。六回に優人投手が、長崎南山の柏嘉倫選手(3年)に決勝の本塁打を浴び、降板した直後だった。「投げている姿が見られなかったのは残念だったけど、一生懸命やっているのは伝わった」と、試合後は肩を抱き寄せねぎらった。
その他の現役OBはオリックスの宮崎祐樹選手。
元プロ組では野原将志(元阪神)、中村隼人(元日本ハム)、貝塚政秀(元西武)選手。
サッカーの森保一(現サンフレッチェ広島監督)、森保洋兄弟も長崎日大のOBです。
甲子園の実績、OB選手のプロでの活躍を含めて県内屈指の強豪校と言えます。
2位 長崎県立清峰高等学校
瞬間最大風速では長崎史上最大の強さを誇った強豪。
2005年から2009年の間に春2回、夏3回出場。
選抜準優勝1回、優勝1回。
春夏通算17試合で13勝4敗、勝率.764。
甲子園通算13勝は県勢最多で、次点が海星、長崎日大の12勝です。
2005年の夏の甲子園に長崎代表として初出場。
この時のエースは後にオリックスブルーウェーブにドラフト1位で指名された(日本文理大学経由)古川秀一投手。
清峰高校は初戦で同年の選抜優勝校である愛工大名電高校を延長13回に末に下して一躍有名になりました。
ちなみにこの時決勝タイムリーを打たれたのは後に西武ライオンズにドラフト1位で指名される十亀剣投手でした。
4番には後に中日ドラゴンズから1位指名される堂上直倫選手もいました。
西武十亀剣投手の武器は豪快なサイドスローのフォームから繰り出される剛速球
次の試合では前年度の準優勝校である済美高校に勝利。
この済美高校には後に広島東洋カープにドラフト1位される福井優也がいました。
続く3回戦では結果的にベスト4まで進出した大阪桐蔭高校に惜しくも1-4で敗れています。
この時の大阪桐蔭高校には読売ジャイアンツに1位指名された辻内崇伸投手、中日ドラゴンズに1位指名された平田良介外野手、日本ハムファイターズに1位指名された中田翔外野手がいました。
この年の清峰高校は名門チームを名勝負を演じたことから「ミラクル清峰」と呼ばれ話題になりました。
2006年には初めて選抜に出場すると東海大相模、前田健太投手擁するPL学園などを次々と打ち破り準優勝。
決勝戦の横浜高校戦ではエース有迫が疲労困憊なこともあって0-21と記録的な大敗を喫しました。
ちなみにこの時の横浜高校には福田永将、佐藤賢治、下水流昂、高濱卓也らの後のプロ野球選手が多数いました。
横浜高校野球部OBの現役プロ野球選手ベストナイン【2017年版】
雪辱を喫した清峰高校は2年連続で出場した2006年の夏の1回戦・光南高校戦で22-3と圧勝。
この試合後、廣瀧航主将が「春に横浜に大差で負けたことが強く印象に残っていたので、21点を上回れたことは素直にうれしい」と発言をしました。
この時期の清峰高校の快進撃は県民の間でも驚かれましたが、実は起こるべくして起こった快進撃ともいえました。
この時の古川、森、大石、廣瀧、有迫、佐々木伸、佐々木優、木原、富尾、田邊、山口、古賀、富永、林といった主力選手たちは県北中学校野球界のスーパースター軍団だったのです。
基本的に有力選手がばらけがちな長崎県の高校野球界にあって珍しく有力選手が集結した高校だったのです。
私はそのスーパースター軍団と同世代で、中学時代からよく知っていたので、彼らが同じ高校に行くと聞いた時は胸が躍ったのを覚えています。
その黄金時代が去って普通の公立校に逆戻りするかと思われましたが、2008年夏に甲子園出場、2009年には今村猛投手を擁して選抜初優勝。
この優勝が長崎県勢春夏通じて初の甲子園優勝となりました。
ちなみに清峰高校はこれまで2度選抜に出場して10戦9勝1敗と驚異的な記録を残しています。
また、清峰高校は一時期末永、古川、有迫、古賀と左のエースが1番を付けるのが伝統でもありました。
伝統は浅いですが、甲子園で驚異的な戦績を残した点を評価して2位にランクインしました。
1位 海星高等学校
長崎県の高校野球界を常にリードしてきた存在。
それが海星高校です。
伝統、実績、OBの活躍など、どれをとってもトップクラスの名門高校です。
春5回、夏17回出場はいずれも県勢最多。
春はベスト8が1回、夏はベスト4が1回。
6回連続長崎県代表の記録も持っています。
どんなに前評判が低くても、海星のユニフォームを見るとついオーラを感じてしまいます。
惜しむらくは戦績。
春夏通算で34戦12勝22敗、勝率.352とかなり負け越しています。
私が生きているうちに勝ち越しまで持っていって欲しいものです。
海星高校が一番甲子園で話題を集めたのは1976年の夏。
酒井圭一投手擁する海星高校は長崎県勢として24年ぶりに準決勝進出を果たすベスト4入り。
同大会で酒井投手は5試合で被安打16奪三振40失点6の成績で、サッシー旋風を巻き起こしました。
1学年下のチームメートに遊撃手の平田勝男(現阪神タイガースの一軍チーフ兼守備走塁コーチ)選手もいました。
それ以降も海星高校は安定して甲子園出場と有力プロ野球選手を輩出しています。
元ロッテの堀幸一、元西武の松永浩典。
現役では西武の永江恭平、阪神の江越大賀選手がいます。
中でも一番有名な野球部OBは現智弁学園和歌山高等学校野球部監督の髙嶋仁さんです。
長崎海星高校時代に、投手兼外野手として1963、1964年の全国高等学校野球選手権大会に出場。
後に長崎日大の監督を務めることになる、的野和男さんとはこの時コーチと選手の間柄です。
2000年秋の国体では高嶋監督率いる智弁和歌山対的野監督率いる長崎日大の対決が実現。
高校時代の師弟が国体で対戦した唯一のケースです。
ちなみに美輪明宏、若林豪さんも海星高校出身です。
それとよく勘違いされるのですが、同名で野球名門高校の三重・海星、島根・開星、東京大学合格者数日本一の開成。
読みが同じ「かいせい」なので、混同されがちなのですが、異なるものなので注意してください。
海星高校出身者の友人が東京で「海星高校出身者」と言うと『開成出身!!??』と驚かれるといつも嘆いていました。
ちなみに長崎の海星と三重の海星は甲子園で2度も対戦しています。
1度目が昭和47年夏の1回戦で、この時は2対0で長崎の海星が勝利。
2度目は平成元年の2回戦で、今度は三重の海星が10対2で勝利し。
対戦成績は1勝1敗となっています。
2017年の夏の高校野球長崎県大会情報と結果
【大会概要】
開幕:7/8
決勝戦:7/23
試合会場:長崎県営野球場,佐世保市総合グラウンド野球場
【大会予想】
優勝候補:長崎日大、大村工業、創成館
対抗:佐世保実業、清峰、海星
ダークホース:鹿町工業
【組み合わせ・及び日程】
長崎ニュース - 高校野球(甲子園)-第99回選手権大会:バーチャル高校野球
【結果】
波佐見高校が清峰高校を下して、16年ぶり3回目の夏の選手権出場となりました。
甲子園長崎大会決勝は波佐見高校が延長の末に清峰高校を下し、16年ぶりの夏!
まとめ
海星が長崎県の野球界を引っ張り、そこで培ったノウハウを的野監督が長崎日大に流れ、妥当海星に燃える得永監督によって県北の佐世保工業、波佐見高校が躍進し、県北に野球熱が高まり、後に清峰が強くなる。
長崎高校野球は多くの野球関係者の努力と熱で発展してきました。
今後もその情熱が消えることなく燃え上がり、いつか悲願の夏の全国制覇達成を見てみたいです。
それでは、さようなら!
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