青木宣親選手が日米通算安打2000本安打を達成した。
米大リーグ、アストロズの青木宣親外野手(35)が11日、ヒューストンで行われたエンゼルス戦の四回に右中間二塁打、六回に左前打を放ち、日米通算2千安打を達成した。日本選手7人目で、イチロー外野手(マーリンズ)やプロ野球巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏らに続いた。
宮崎・日向高から早稲田大を経て2004年にドラフト4巡目でヤクルトに入団。史上初の2度のシーズン200安打以上や3度の首位打者で通算1284安打を記録した。12年からメジャー5球団でプレーして716安打をマークし、大打者の勲章を手にした。(共同)
3月に行われたWBCで強いリーダーシップと高い出塁率で日本をけん引した青木選手。
メジャーでイチロー、松井秀喜氏に次ぐ、成功を収めた青木宣親選手の伝説ベスト10を語っていきます。
目次
- 無名の高校生から早稲田大学伝説の最強メンバーの一角
- 史上2人目の200本安打
- 初の盗塁王獲得 スピードスターの記録を止める
- 二度のWBC制覇 大会ベストナインも獲得
- 奥さまを射止めた公約実現
- 史上初の2度目の200本安打と3度目の首位打者
- メジャー屈指のジャニーマン さすらいの出塁マシーン
- 両耳ヘルメットの理由
- 複数のフォームを調子と状態によって使い分ける
- 日米通算2000本安打
- youtube検証企画
- まとめ
無名の高校生から早稲田大学伝説の最強メンバーの一角
高校時代は甲子園出場経験なし。
高校自体も強豪野球校ではなかったため全国的には無名の存在。
そこから早稲田大学に指定校推薦で進学。
早大の同級生には鳥谷敬、1学年上には和田毅、1学年下には田中浩康、2学年下には武内晋一・越智大祐とプロの第一線で活躍する選手がずらりといました。
後に6人全員がプロ入りした強力打線「1番・田中、2番・青木、3番・鳥谷、4番・比嘉、5番・武内、6番・由田」で、早稲田大学野球部史上初の4連覇に貢献。
早大時代の同級生だった鳥谷敬選手も2017年に2000本安打を達成する可能性があります。
プロで2000本安打を達成する選手が同じチームにいれば、それは強いわけです。
首位打者1回、ベストナインを3回受賞。
2003年のドラフトでヤクルトスワローズから4巡目指名で入団。
ドラフトの指名順位からもわかる通り、当時の早大のメンバーの中では特に目立った選手ではありませんでした。
史上2人目の200本安打
プロ一年目に二軍でイースタン・リーグ首位打者(打率.372)と最高出塁率を獲得。
プロ二年目の2005年にイチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成。
最終的に202安打を放って最多安打、打率.344でセ・リーグ首位打者、新人王にも選出された。
この頃から同じ右投げ左打ちの外野手、安打製造機であることからイチロー選手と比較されるようになっていきました。
ちなみにこの年は113三振を喫しています。
この3桁三振は青木選手のキャリア唯一のことです。
その後は三振が少ない打者に変貌を遂げていきます。
200安打と首位打者を獲得しながら三振を量産するという非常に珍しい記録を残しています。
初の盗塁王獲得 スピードスターの記録を止める
2006年は41盗塁で盗塁王を初受賞しました。
5年年連続盗塁王(セリーグ記録)の赤星憲広の6年連続を阻止する形になりました。
赤星選手自身も142試合に出場して35盗塁を記録。
このことから青木選手が実力でタイトルを奪ったことが伺えます。
あの当時の赤星選手と言えば、右に並ぶものはいないスピードスター。
その赤星選手を止めたこと、青木選手自身前年の29盗塁から大幅に記録を伸ばしての達成であったことも評価を高めました。
二度のWBC制覇 大会ベストナインも獲得
2006、2009年にWBCに出場し、日本の連覇に貢献。
特に2009年大会は不調のイチロー選手に代わって3番に入ると、大会を通して好調を維持。
3番打者として全試合に出場し、打率.324、7打点の好成績で、大会ベストナインに選出されました。
実際に試合を観ていて最も頼りになるのは青木選手でした。
「青木に回せば何とかしてくれる」
その雰囲気がチームからも、ファンからも出ていました。
最後はイチロー選手が美味しいところを持っていきましたが、2009年のチームは青木選手のおかげで勝ち上がったといっても過言ではありませんでした。
前年の北京オリンピックも含めて、国際試合大会でもヒットを量産する青木選手を見て、その対応力の高さに驚かされました。
奥さまを射止めた公約実現
2009年シーズン終了後にテレビ東京のアナウンサー・青木佐知(旧姓・大竹)さんと結婚。
※以降、青木佐知(旧姓・大竹)さんのことは青木さんと略。
実は2人の馴れ初めには青木選手からの猛烈なアプローチがあったそうです。
はじめて会って15分後に青木選手から後の妻となる青木さんに連絡先を聞いたそうです。
その時の青木さんの印象は
「ちゃらい!、軽い!」
その後半年に渡る青木選手からのアプローチがあったそうです。
そしてある試合前に青木さんから青木選手に「次の試合で3安打打ったら付き合ってあげる」と提案。
青木選手は見事に翌日の試合で3安打を放ち、2人は付き合うことになったそうです。
プロ野球選手の妻は周囲が想像する以上に大変でしょうが、今の青木選手の活躍の影には青木佐知さんの献身的な支えがあったからでしょう。
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※同じメジャーリーガーの妻、田口恵美子(元メジャーリーガー田口壮選手の奥さん)さんのメジャー生活についての本を紹介しています。
史上初の2度目の200本安打と3度目の首位打者
2010年青木選手は自己最高の成績を納めます。
日本プロ野球史上初となる2度目のシーズン200本安打を達成。
また自己最高の打率.3585を記録し、自身三度目となる首位打者を獲得。
若松勉氏の持つシーズン打率.3583の球団記録を更新。
出塁率、OPSにおいても自己最高の数字を記録。
ちなみにこれまでのプロ野球において首位打者を3回獲得した選手は青木選手を含めて11名のみです。
【首位打者3回以上獲得者】
7回 張本勲、イチロー
6回 長嶋茂雄
5回 川上哲治、王貞治、落合博満
3回 与那嶺要、大下弘、江藤慎一、A・パウエル、青木宣親
いずれも球史に名を残す大打者ばかり。
青木選手がいかに偉大な打者であるかがこの数字から伺えます。
ちなみに同じく3度首位打者を獲得したA・パウエル氏は2017年に青木選手が所属するアストロズの打撃コーチを務められています。
首位打者3回を獲得した選手で今も現場で活躍しているのはイチロー選手を含めて3名のみ。
その3人が揃ってメジャーで活躍し、青木選手とA・パウエルコーチに至っては同じチームとはなんたる偶然。
人の縁とは面白いものです。
ちなみに2010年までの青木選手の日本での通算打率は.329。
通算4000打数以上が条件の通算打率へのランクインには100打数足りません。
もし青木選手が日本に復帰して、100打数立てば日本プロ野球史上最も打率が高い打者となります。
※イチロー選手の日本通算打率は.353、通算打数は3619です。
メジャー屈指のジャニーマン さすらいの出塁マシーン
2012年から青木選手は活躍の舞台をメジャーに移します。
ブルワーズ、ロイヤルズ、ジャイアンツ、マリナーズ、アストロズと6年間で5球団を渡り歩いています。
通算打率.286、出塁率.353。
打率は毎年.280代で、一度も上回ったことも下回ったこともありません。
青木選手は出塁率が高い選手として知られ、日本時代の出塁率は.402(4431打席)。
実は日本プロ野球史上通算出塁率4割越えは3名しかいません。
公式記録に残る生涯出塁率4割超え(4000打席以上)の打者はプロ野球史上、張本勲、落合博満、松井秀喜の3人だけ。
イチロー選手の.421(4098)と合わせると史上5名。
もしイチロー選手と青木選手が日本に復帰して著しく成績を落とさない限り、生涯出塁率4割越えは史上5名しかいない大記録なのです。
また、三振率の低さも魅力の一つ。
2012年以降のメジャーで最も三振をしない打者なのです。
今季の青木はシーズンで45三振を記録。
これは10.38打席に1三振した計算になり、メジャー全体を見るとアンドレルトン・シモンズ(エンゼルス・12.71打席に1度)、ジョー・パニック(ジャイアンツ・11.19打席に1度)に次ぐ“三振に縁遠い”打者だったという。
さらに、メジャー1年目だった2012年からの通算成績を見ると、青木は12.48打席に1度しか三振を記録しておらず、これは2012年以降ではメジャートップだそうだ。
引用:生命線は「三振しにくい打撃」 アストロズ青木宣親に寄せる指揮官の期待 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―
プロではじめて規定打席に達したシーズンに113三振を喫し、三振率5.74だった打者が三振率を12.48にまで高めた。
しかもレベルの高いメジャーリーグで。
青木選手が常に進化を遂げ続けていることが伺えます。
両耳ヘルメットの理由
2016年の後半から青木選手は両耳ヘルメットを着用して打席に立っています。
野球に詳しくない方はピンとこないかもしれませんが、これは非常に珍しいです。
通常左打者は右耳側、右打者は左耳側にだけ耳あてがついたヘルメットをつけます。
稀に両打ちの選手で両耳ヘルメットを付ける選手もいますが、左打者が両耳ヘルメットをつけるのは稀なこと。
実はそれには理由があります。
青木によると、人間は自然にふさがっていない方の耳と目に神経を集中させるそうで、左打者の場合は左目をボールの正面に向けて捉えようと、体が早く開いてしまうことがあるらしい。マイナーはヘルメットの両方に耳あてがついていて、打撃の調子も上がったので、再昇格後も使い続けているそうだ。
去年マイナーに落ちた時にたまたま両耳ヘルメットをかぶる機会があって発見したそうです。
その効果か青木選手はメジャー昇格後、20試合で打率.379、3本塁打を放ちました。
その後2017年のWBC、本シーズンでも両耳ヘルメットを着用しています。
複数のフォームを調子と状態によって使い分ける
青木選手の特徴の一つが複数のフォームを使い分けわけられることです。
通常打者は1シーズンに一つのフォームで戦います。
もちろん疲れや不振で意図せざる形でフォームが変わる(この場合は崩すが正しい)こともありますが、理想は一つのフォームで1シーズンを乗り切るのが理想とされます。
しかし、青木選手の場合は意図的にその時の状態に合わせたフォームを使い分けるそうです。
問題の解決策としてこの天才打者は、いくつもの処方箋を持っているのが強みだった。一つの型だけでなく、何通りかの打撃フォームを状態によって使い分ける。打撃を崩した中でも、ヒットを打つための引き出しを数多く持っているのだ。
「スランプになったときに、元に戻せるなら問題は簡単です。なかなかそうはいかないから、逆にフォームをちょっとずつ切り替えていく。そうすることで打てない時期を短くできる」
実はこれ、あのイチロー選手にも共通していることなのです。
別のインタビューでイチロー選手もフォームを使い分けていると語っています。
野手、投手ともにフォームを変えるのは非常に勇気がいることです。
フォームを崩したことで、逆にもっと調子を落として、そのままプロの世界から消える選手がいるほどです。
しかし、イチロー、青木選手のレベルになるとその高度な技術を駆使して調子が悪い期間を短くすることができるのです。
それが両選手が長く安定して成績を残し続ける秘訣なのです。
日米通算2000本安打
「みんなが拍手してくれて本当にうれしかったです。(王手をかけてからは)ここで決めるという気持ちでした。プロに入ってから2000本を意識したことはなかったです。(明日からは)とりあえずリラックスできると思いますが、まだまだ続くし、アストロズも優勝争いをしているし、チームの一員として貢献したいです。まだまだ野球をやりたいですし、野球に対する情熱は、まったく消えるどころか、むしろ上がってるくらい。ここからまたエンジンを上げていきたいと思います」。
今シーズンはスタメン固定ではなく、ベンチスタートの日も多かった青木選手。
打順も8,9番など下位を任されることが多く、中々本調子を掴めなかった。
そんな中でも、自分の役割を確実にこなす安打製造機の存在はチームにとって欠かせない存在になっています。
現在地区首位を独走中のアストロズ。
今後の優勝争い、プレーオフなど厳しい戦いが予想されますが、その時は青木選手の存在が重要になるでしょう。
悲願のチャンピョンリング獲得に向けて、これからも安打を量産して欲しい。
youtube検証企画
まとめ
この記事を書いていて思ったのは青木選手の記録のほとんどにイチロー選手が比較対象として上がってくるということです。
青木選手しかイチロー選手の領域に迫ることはできない。
それだけ青木選手も超一流選手だということです。
2000本安打達成はまだまだ通過点。
青木選手には是非、史上4人目の3000本安打を達成して欲しいです。
まずは今シーズン、自身初の打率3割、そしてワールドチャンピョンを目標にこのまま活躍を続けて欲しいです。
青木選手、本当におめでとうございました!
それでは、さようなら!