誰も傷つけたくないから、自分が傷つけばいい。
1人が好きな人ってこういう感情を持っている人が多いのでないでしょうか。
どうも、はろーぐっばいです。
今日は昨年の『君の名は。』と共に話題になった映画『聲の形』を観た感想を語っていきます。
私は映画、漫画原作の順でみたのですが、こんなに原作漫画の良さを表現できたアニメ映画はなかなかないなと感動しました。
内容もいじめと聾唖者という設定を活かしながら「思うようにコミュニケーションできない人々の群青劇」を非常にリアルに描けていました。
観た後に爽快感があるかと言われたら微妙ですが、後味の良い考える時間が出来る作品です。
10代20代という年齢だけでなく、大人も子ども観て色々考えさせられる良作です。
早速、感想を述べていきます。
聲の形とは
概要
2016年9月17日公開。
原作は大今良時による漫画『聲の形』。
キャッチコピーは、「君に生きるのを手伝ってほしい」。
京都アニメーション所属・山田尚子による長編映画監督3作目となる作品。
公開館数は120館と小規模ながら、累計動員177万人を突破、興行収入は23億円を達成。
2016年度の日本映画全体の興収ランキングで第10位、松竹配給作品では第1位となる記録を収めた。
あらすじ
高校3年生の主人公・石田将也が身辺整理をしていくところから物語は始まり、そのまま小学生時代まで舞台は遡る。
小学6年生の石田将也の通うクラスにある日、先天性の聴覚障害を持つ少女・西宮硝子が転校してくる。
最初は好意的に接していたクラスメイト達だったが、次第にお互いの波長が合わなくなっていく。
同様に、硝子に対して好奇心を持っていた将也は、興味本位で硝子をからかい始める。
硝子を嫌うクラスの空気が出来ていく中、いじめに加担することとなっていく将也。
暫くしたある日、一連の出来事が表面化し、担任や校長を交えたクラス会が行われる。
その中で将也は一人罪を被され、これまでと一転、いじめられ周囲から孤立していく。
そうした中、ラクガキされた将也の机を人知れず綺麗にする硝子であったが、将也はそれを理解できず、分かり合えぬまま、後に硝子は別の学校へ転校。
将也は、「自分は罪を背負い、罰を受ける必要のある人間である」と自己の存在を否定したまま、中学・高校と誰とも関わり合いを持たないように過ごしてきた。
高校3年生となった将也は、これまでの人生のけじめをつけるため、小学生時代の一連の出来事がきっかけに出来た母への借金を、アルバイトを通して、また身辺整理し私物を売ることで着々と返済の用意をしていく。
そして返済金を全て稼ぎ終わったある日、母が眠る枕元にお金を置き、家を出る。
手話を習得していた将也は人生の最後として、硝子に謝罪をし、忘れ物を返すため、彼女が通う手話サークルを訪れる。
全体感想 【ネタバレ注意!】
可愛らしくて綺麗な映像と心地よい音楽。
耳と目が疲れることなく見れる作品です。
ただ、それは内容の重たさを少しでも軽くするための配慮だったのかなと。
可愛らしいキャラクターとは裏腹に扱われているテーマや起きている事象は残酷そのもの。
特に硝子の補聴器を将也が奪うシーンは思わず私の耳まで痛んだ気がしました。
原作と比べれば、暴力的なシーンは抑えられていますが、それでも見るに堪えないシーンが多かったです。
また、直接的な暴力だけでなく、いじめている側の空気感やいじられる側がクラスからどんどん疎まれていく様子の空気感などは非常にリアルなものがありました。
キャラクター一人一人も「こういうやついるよな~」と思わされる人物ばかり。
特に川井さんは視聴者をイライラさせるには十分過ぎるほどリアルな加害者意識のない加害者でした。
対照的に現実離れしていたのが永束君。
現実に彼のような親友がいてくれたらと思わせるほど、この作品になくてはならない作品の良心的な人物。
彼なしではこの作品がアニメ映画、一種の大衆娯楽としての側面を保てなかったのではと思わされました。
実際、彼が出てくる中盤以降は作品が前向きに進みだしており、それまでの陰鬱な雰囲気を吹き飛ばしてくれるキャラクターでした。
ラストシーンのトイレで原作以上に永束君の役割が大きかったのは個人的に好きな編集でした。
永束君最高!
永束君のようなしつこいくらいの熱い思いやりが表のコミュニケーションのあり方ならば、硝子と将也の自分を押し殺すコミュニケーションは裏。
比較的裏のコミュニケーションをとりがちなキャラクターが多い『聲の形』において、非常に重要な存在が永束君だったように思います。
全体的に見ても序盤の小学校時代、中盤の将也が徐々に自分を見つめ直していくシーン、最後の学園祭のシーンにいたるまでの流れがスムーズで、長すぎず、短すぎずの飽きることなく観れる映画でした。
原作のラストシーンでは同窓会に勇気を持って踏み出す硝子と将也が手を取り合って終わるのですが、映画版では学園祭のシーンで終わります。
個人的には学園祭のシーンで終わらせた編集は好感が持てました。
コミュニケーションに関する様々な葛藤や困難を経た将也が最後に学園祭という多くの人が集まるコミュニティを楽しめるようになった。
そこで終わらせることでコミュニケーションをテーマにする今作のメッセージ性を高められたように感じます。
それまで周囲の顔色や囁き声を気にしていた下ばかりを見ていて主人公が、周りのことを受け入れて明るい表情で周囲を見渡す。
絵として非常に美しかったので、私は映画版のラストが非常に印象に残っています。
ちなみに一人好きなキャラクターを挙げるなら植野 直花です。
永束君と結絃とも迷ったのですが、やはり植野さんしかいないかなと。
口は悪いし、不器用ですが、物事の本質を誰よりも見抜く力に長けており、感受性が豊かなキャラクターだと思います。
ただ、その感じ取ったことを表現する術を持っておらず、誤解されることが多いのかなと。
そういう不器用な一面が人間らしくて好きです。
私の学生時代のいじめ経験
批判を恐れずに言うならば私は学生時代にいじめをしたことがあります。
いじめに重いも軽いもないとい前提を承知で言うならば、軽い方に分類されるいじめでした。
いわゆる見て見ぬふりというものです。
誰かを守るよりも、自分を守ることで精一杯でした。
被害者側からすればその時の恐怖や怒り、悲しみなどは計り知れないもので、大いに反省する必要があります。
なぜこんな話をしだしたかというと、いじめる側の心理について話たかったからです。
というのも、いじめている側のほとんどは誰かを攻撃したいのではなく、誰かから攻撃されるのを守るためにいじめをするケースが多いというのが個人的な印象です。
傍観者と言われる人はもちろんのこと、いじめている側も「俺は強いんだ、これだけ力があるんだ! わかるよな! みんな!」と周囲に自分の力を認めさせるためにいじめを利用するケースが多いです。
そういった観点で見ると『聲の形』は非常にリアルです。
将也以外の人物は自分はいじめに加われ側であることを周囲に理解させ、自分の身を固めています。
しかも、自分は直接手を加えない形で証拠を残さぬように。
いじめの背景にある自己保身。
いじめのリアルな生態が描かれているのが『聲の形』です。
気持ちの伝え方は多種多様 『聲の形』が伝えたかったこととは
将也と硝子。
この二人は恋愛感情があるように描かれていますが、個人的にはそれはしっくりきません。
どちらかというと似たもの同士、同じ傷を持つものが寄り添っているという方がしっくりきます。
自分さえいなければみんなは仲が良かったのにと自殺のことを考えながら生きてきた硝子。
自分の犯した罪の重さに苦しみ、罪滅ぼしを終えた後に死を望む将也。
死を望む二人の再生の物語。
というのが今作のテーマであり、二人の関係としてぴったりくる気がします。
将也のいじめを擁護するつもりはありませんが、元々将也はかなり人を思いやれる人物なのかと思います。
硝子をいじめるきっかけになったのも、硝子に振り回されて辟易しているクラスメイト
たちを助けてあげたいというのが出発点。
その助け方がいじめという最悪の形になってしまいましたが、元々はクラスメイトのことを思ったため。
それにしたって、将也はまだ十分適切な判断を出来ない小学生。
本来であれば、先生が上手くマネジメントするべきだったはずです。
しかし、先生がいじめを許容するような仕草を見せたことで、将也は増長。
結果最悪な形になってしまうわけですが、将也はみんなの笑顔が見たかったのかと思います。
元々みんなに笑って欲しいという気持ちが強いタイプの将也がいじめを経て高校生になってからも永束君を守ったり、硝子のために頑張ったり、結絃を受け入れたりしたのは何も突然のことではありません。
彼本来の優しさが時を経て、自然な形で現れはじめたのです。
小学生の時とはいえ、一度犯した過ちが消えるわけではありません。
それを受け入れて更生の道を歩むのは非常に難しいことです。
それでも将也が自分に向き合って、自分なりのコミュニケーションの形を見いだせたのは胸を打たれました。
また、硝子も自分が存在することで、両親が離婚、学校でいじめが発生しクラスメイトが仲違いするなど自分を疎んできました。
それゆえ、悲しいことや嫌なことがあっても「ごめんなさい」といって全てを自分のせいにしてきました。
しかし、植野からそうした態度を叱責されたことで、本当に自分と向き合っていくようになります。
結果的に将也に想いを伝えられたから向き合えたわけではなく、自分の考えを相手に伝えることが硝子にとって大きかったように思います。
原作で将来の話をするときに東京に行きたいと言い出す硝子と東京は危ないと止める将也の会話が出てきます。
何気ないシーンですが、これは二人がそれぞれの想いを素直にぶつけ合う成長を描いたシーンなのです。
これは『心が叫びたがってるんだ。』の順の告白シーンに似てる気がします。
恋愛感情を伝えられたことが成長なのではなく、それ含めて自分の感情を表すことが出来た。
そのことが大きいのかなと。
本作の題名が声ではなく聲なのは「気持ちを伝える方法は声だけじゃない」という意味を込められています。
なお、題名を「聲」の字にしたのは、調べた際にそれぞれ「声と手と耳」が組み合わさってできているという説があることを知ったためであることと、「気持ちを伝える方法は声だけじゃない」という意味を込めて「聲」にしたという
将也と硝子以外にも今作には自分の気持ちを上手く伝えられないキャラクターばかり登場します。
彼ら彼女らなりのコミュニケーションの形。
それを見出していくのが今作の重要なテーマになっています。
映画版ではあまり出てきませんが、原作ではほとんどのキャラクターが一芸を持っており、それを活かした道に進んでいきます。
カメラ、ファッションデザイナー、俳優、音楽家、映画製作など。
それらは一種の自己表現の形です。
声だけじゃ伝わらない自分の気持ちを模索する人々の群青劇。
最終的には人それぞれ色んな気持ちの伝え方にたどり着ける。
これが『聲の形』で一番伝えたかったことだと私は思います。
まとめ
伝えたいことが伝わらない。
それをいつしか自分のせいにする。
もっとひどくなると自分さえ傷つけばいいとなってしまう。
もし、そんな風に精神的にも肉体的にも自傷癖がある人がいたら是非この作品を観て欲しいです。
もしかしたら自分を変えるきっかけを掴めるかもしれないので。
それでは、さようなら!
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