クレヨンしんちゃんで「人の死」を扱うことは是か非か。
子供向けのアニメーションであるクレヨンしんちゃんにおいてそのことはタブーとされてきた。
通常放送回で雀が死ぬ話が描かれたりしたことはあるが、基本的にクレヨンしんちゃんに人の死は描かれてこなかった。
それまでの劇場版で、恐らく人が殺されたであろう描写はあったが、それらはいわば脇役(脇役なら良いというわけではないが)。
あるいは地球人ではない異星人の消滅や封印という形で描かれた。
つまり直接的に味方の人間が死ぬシーンが描かれたことはこれまで一度もなかったのだ。
その人の死が初めて描かれたのが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』。
このブログでも散々扱ってきた「オトナ帝国」に並ぶクレヨンしんちゃん映画の代表作。
泣ける、感動的、悲しいなどの要素がこれまでの「子供に見せたくない」アニメとしてのクレヨンしんちゃんの立ち位置を一気に変えるものとなった。
私の友人の中には「クレヨンしんちゃんの通常回は見たことはないけど、「オトナ帝国」と「戦国大合戦」は見たことがある」というものさえいるほど良い映画として知名度が高い作品だ。
今日はその『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』。について話していく。
- 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』とは
- 細微にまでこだわった圧倒的リアリティ 死を描くために必要だったもの
- 逞しさ全開! 成長が止まらないクレヨンしんちゃんは映画の中では既に成人並
- 主役はしんのすけではない! メインは家臣と姫の禁断の愛
- なぜ私がこの作品を好きでも嫌いでもないのか
- クレヨンしんちゃん映画を観るなら!
- まとめ
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』とは
概要
2002年4月20日に劇場公開された日本のアニメーション映画。
『クレヨンしんちゃん』の劇場映画シリーズ第10作目(映画化10周年記念作品)。
上映時間95分。興行収入は約13億円。
キャッチコピーは『歴史を変えるおバカ参上!』。
あらすじ
ある夜、野原一家は全員揃って時代劇に出てくる様な格好をした綺麗な"おねいさん"の夢を見る。
しんのすけが幼稚園から帰ると、犬のシロが庭を掘り返していた。
その穴から見つけた文箱の中には「おらてんしょうにねんにいる」と読める汚い字とぶりぶりざえもんの絵が描かれた手紙が入っていた。
埋めた覚えはないのにと訝しがるしんのすけだが、「おひめさまはちょーびじん」という一文を見て朝の夢を思い出し、"おねいさん"に思いを馳せながら目を閉じる。
目を開けた瞬間、しんのすけは夢で見た泉の畔に立っていた。訳もわからず歩いているうちに、軍勢同士の合戦に遭遇してしまう。
最初は時代劇の撮影だと思い込むしんのすけだが、偶然から一人の侍の命を救う。
井尻又兵衛由俊(いじり またべえ よしとし)というその侍は、命を救ってくれた恩からしんのすけを自分たちの城、春日城に案内してくれるという。
そこには、しんのすけが夢で見た"おねいさん"こと廉姫(れんひめ)がいた。
又兵衛と廉姫が想いを寄せ合っている事を察したしんのすけは2人の仲を取り持とうとするが、二人は身分の違いからお互いの想いを打ち明けられずにいた。
一方、しんのすけの父ひろしと母みさえは行方不明になったしんのすけの安否を気遣っていた。
警察の捜索も手がかりがなく行き詰まっている中、ひろしはしんのすけの残した手紙が気になり、図書館で史料を調べる。
そこには「天正2年に戦で野原信之介とその一族が奮戦」との記録があった
。ひろしはしんのすけが戦国時代にタイムスリップしたと確信して「きっとオレ達も過去に行く事になる」と悟った。
反対するみさえを説得し、家族と共に車に乗り込んだひろしだが、過去に行く方法すら解らない。
思いつきからシロが掘った穴の上に車を進めてみる。
その頃しんのすけは、廉姫に初めに来た場所に手紙を埋めてはどうかと提案され、泉の前に文箱を埋めていた。
そこに突如ひろしたちを乗せた車が現れ、しんのすけは家族との再会を果たす。
急いで現代へ戻ろうとするひろしたちだが、いくら念じても戻る事ができない。
一家はしばらく春日城に滞在することになってしまう。
春日城の城主・春日康綱(かすが やすつな)は、ひろし達に未来にはどの大国もみな滅び去ってしまうことを聞き、政略結婚によって今日の安寧を得ても無意味と考え、廉姫に婚姻を迫る隣国の大大名・大蔵井高虎(おおくらい たかとら)に婚姻解消の旨を伝える。
だが、これを受けた大蔵井は2万の兵を率いて春日城へ攻めてきた。
又兵衛らがこれを迎え撃つ為に城の守りを固める中、ひろしはこのままでは史実通り、自分達も戦うことになってしまうと恐れていた。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」 予告編
猛反対を受けた「死を扱う」こと
賛否両論分かれた「人の死」。
製作段階でもかなり意見がわかれたそうだ。
最終的に死を扱うことにGOサインを出したのは原作者の臼井義人先生だったそうだ。
『オトナ帝国の逆襲』の時以上に反対を受けたという。
当時のことを原監督は、「『しんちゃんで子供を泣かしてどうするんだ』と怒られました。
でも『これは素晴らしい作品です』とかばってくれた方もいらっしゃって」と語る。
しかし原監督も「重要なキャラクターの死で結ばれなければ『意味がない』」と粘りに粘って平行線に。
そして最終的に原作者である臼井氏に決断を委ねることになった。
「そこで臼井さんに『このままでいいです』といただけたんです」。
細微にまでこだわった圧倒的リアリティ 死を描くために必要だったもの
この映画は制作に際しては文献調査や時代考証に力が入れられており、戦国時代の風景や生活が、丁寧で詳細に描写されている。
戦場での白兵戦も、単なるチャンバラではなく、総合的な組討術の所作が考証されている。
これについて作家の鈴木輝一郎は「戦国時代の合戦シーンとして、動画の映像資料として最も正確なもの」と述べている。
その情熱のほどは当時わかっていた限りの最新の情報も取り入れていることからもわかる。
おそらく映画やドラマでは、ほぼ初登場なのが"刈り働き"だろう。
敵の兵糧を断つために収穫前の米や麦を刈り取り奪取する。
また足軽同士の戦いでは、"槍合わせ"というほぼどつきあいになる戦いも丁寧に描かれている。
製作当時、判明していた最新の情報を用いて、戦国時代の戦い方を忠実に再現しているのだ。
引用:『オトナ帝国』と『戦国大合戦』はなぜ“傑作“なのか? 劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズの魅力【原恵一/後編】 - ライブドアニュース
子供向けの作品にそこまでする必要性はあったのか?と聞かれれば、それはあったと言えるだろう。
それは前述したこの作品が「人の死」を扱う作品だからだ。
人の死という重いテーマを扱う以上そこにはリアリティがなければならない。
そうしないと死というものが軽くなり、この作品のラストで訪れる死というものが悲しいものにならないからだ。
もしそれまでの風景描写、時代考証、キャラクターの言動などにリアリティがなければ視聴者にはことの真実味や重大さが伝わらない。
そのため徹底的にリアリティを追求する必要があったのだ。
逞しさ全開! 成長が止まらないクレヨンしんちゃんは映画の中では既に成人並
リアリティの追求に呼応するように今作のしんのすけは非常にしっかりしている。
冒頭部分でシロが庭に掘った穴を埋めるところのを素直に始めたり、戦国時代に「一人」でタイムスリップしても物怖じしなかったり、又兵衛と廉の恋心を敏感に察知して応援したりなどなど。
しんのすけを含めたかすかべ防衛隊の園児が大人顔負けの発言をするのはクレヨンしんちゃんの世界ではよくあることだ。
しかし彼らをよくよくみていると発言と言動が伴っていないことが多い。
「口では知ったようなことを言っているが実際は行動できない、どこか幼さが残る幼稚園」というのが普段・これまでの彼ら。
しかし、今作のしんのすけは異常にしっかりしている。
過去の劇場版で見せた怯えのようなものは一切見せない。
私が一番印象に残ったのはしんのすけと又兵衛の金打(きんちょう)のシーン。
ここにこの映画でのしんのすけはいつもの子供としてのしんのすけではないことが表されている。
では、そもそも金打(きんちょう)という行為は何を意味するか。
又兵衛の言葉を借りると以下の意味がある。
「よいか?金打というのはこうやって柄を持ち、少し抜いて戻す。
行為は簡単だがこれは重い誓いの作法なのだ。武士が金打し、その約束を破ればそれはもう武士ではない。心せよ」
ここに又兵衛がしんのすけを武士、男として、子供ではないと認めたことが意味されている。
実はここでしんのすけが金打(きんちょう)をしてしまったのはしんのすけが父ひろし、母みさえから独立して一人の男になったこと暗示している。
というのもこの金打(きんちょう)をする前に、しんのすけと又兵衛は「男同士のお約束」というしんのすけとひろしが普段行っている誓いのポーズをする。
これは直接的には言えないが男のあれ(しんのすけのぞうさんとひろしのマンモス)を見せ合いながらする誓いをする父と子の儀式なのだ。
しかし、ここで又兵衛が提案したのは対等な刀を持って、対等な武士としての誓い。
これが意味するところはしんのすけが立場としてもものとしても大人であるということを意味する。
ここでまずひとつしんのすけが父ひろしから独立したことを意味している。
そして次はみさえからの独立。
実はもう一つの戦国時代を描いた劇場版『雲黒斎の野望』で、しんのすけが吹雪丸から刀を受け取るシーンがある。
実は吹雪丸から刀を渡された時、しんのすけは「子供は刃物を持っちゃいけないって母ちゃんが...」と受け取りを一度拒否する。
しかし、今回又兵衛から刀を差し出された時にしんのすけは何のためらいもなく自然に受け取る。
ここで意味するところはみさえからの独立。
この金打(きんちょう)のシーンを描くことでしんのすけが既に子供以上の存在であることを示している。
後の又兵衛の死をしんのすけが受け入れる様子を違和感なく描くためにもこのシーンは非常に重要なシーンなのだ。
主役はしんのすけではない! メインは家臣と姫の禁断の愛
この物語の主人公は誰か。
もちろん設定上はしんのすけということになるのだが、実際のところは主役が又兵衛、ヒロインが廉といった方がしっくりくる。
実際制作秘話でも原監督が主役を又兵衛と考えていたことが示唆されている。
原が当初プロットにつけていたタイトルは『青空侍』であった。
茂木仁史プロデューサーは「普段はタイトルなんて適当なのに、本作では非常にこだわっていた」と語っている。
しかし、興行的に弱いという理由でこのタイトルは不採用となった。
青空侍とは又兵衛の旗印から付けられたあだ名。それをタイトルにしようとしていることが監督の構想を物語っている。
実際、この作品は身分や歳の差などから中々想いを伝えられない両者の恋模様が中心に描かれている。
敵役は存在するが、今までの劇場版のように世界制服を企む悪を倒すという目的はない。むしろ二人の愛を阻む生涯としての存在がメインだ。
そしてこの身分を超えた愛というストーリーを成立させるためにもここまで述べてきたリアリティが必要不可欠なのだ。
時代考証、成人したしんのすけなど、どれか一つかけてもこの悲劇の恋物語は成立しない。
結果又兵衛が死ぬという終わりを迎えるところまでが完璧に計算し尽くされた作品と言える。
なぜ私がこの作品を好きでも嫌いでもないのか
ここからは考察ではなく私の個人的な感想。
※注:この作品を好きな方は目を通さないほうが良い。
正直にいうと私はこの作品に対してあまり響くところがない。
以前私がこの作品を初めて見た時、そして今回見直すまで一度も好きだなと思ったことがない。
もちろん駄作だとは思わない。
ただ好きでも嫌いでもない存在なのだ。
それはなぜなのか。
うーん、私が好きなクレヨンしんちゃんがいないからというのが正直な答えだ。
以前からお伝えしてきた通り私は昔のクレヨンしんちゃんが好きだ。
しかし、少なくともこの作品のクレヨンしんちゃんは私が好きなしんちゃんの要素が非常に薄い。
細かな時代考証、大人で勇猛果敢なしんちゃん、野原一家の家族愛、連載当初とは様変わりしてしまったふたば幼稚園の園児たち(今回はご先祖さま?としての登場)、禁じられた関係の大人の恋
これらこの作品を盛り上げた要素って元々のクレヨンしんちゃんにあっただろうか?
これらの要素を盛り込んだことで本来のしんちゃんのおバカなギャグ要素は薄れてしまった。
仮に入れていたとしても大滑りしていただろう。
本来ギャグ漫画であるはずのクレヨンしんちゃんがシリアスな展開の雰囲気をぶち壊さない程度の笑いしか入れない。
私個人としてはそんなクレヨンしんちゃんは見たくない。
この作品で扱われたようなテーマは古今東西、世界各国に存在する。
私はクレヨンしんちゃんでそのようなものを見たかったわけではない。
別の劇場版クレヨンしんちゃんの『ヘンダーランド』冒頭で「カッコイイ王子様が可愛い王女様を救うなんて展開はもう飽き飽きよね」と定番ネタに対して皮肉ってた時代はどこにいったのだろうか。
私は「クレヨンしんちゃん」を観たかったのだ。
私がこの作品を見ていて良いも悪いも何も感じないのはそこにクレヨンしんちゃんがないからだ。
だからこれまでのクレヨンしんちゃん映画の記事の中でも冷静に考察出来たのだと思う。
そこにクレヨンしんちゃんに対して熱くなる私が現れなかったからこそ私は考察に徹せたのだ。
クレヨンしんちゃん映画を観るなら!
映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦を観るならamzonプライムが断然お得です。
月間プランの場合、400円(税込)、年間プランの場合、3,900円(税込)。
映画24作品が見放題です。
いつでも30日間の無料体験を実施しています。
とりあえず30日試して、途中で辞めることも可能です!
もちろん、無料期間内なら料金は発生しません。
まとめ
非常に良く出来た作品で、誰が見てもある程度満足する。
だが私はこの作品からクレヨンしんちゃんを感じられなかった。
クレヨンしんちゃんが持つ大衆受けする要素を全て使って良い映画を作ったらこの作品が出来た。
としか感じられなかった。
大衆受けするクレヨンしんちゃんを作ったことで代わりに失ったものは何か。
これ以前の作品はまた見直したいと思える作品ばかりだったが、この作品に関しては自ら進んで見直すことないだろう。
この作品を好きだという方には不快な記事となってしまったかもしれませんが、これが私のこの作品に対する偽らざる感想だ。
私にとっては違った意味で泣けるクレヨンしんちゃん映画だった。
それでは、さようなら!