死ぬまで生きる問題

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俺の人生はつまらなくなんかないぞ!映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』【ネタバレ感想】

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クレヨンしんちゃんの映画、いやひいてはクレヨンしんちゃんという作品自体の世間の印象を一気に変えてしまった作品。

 

それが『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』。

 

 

この作品はクレヨンしんちゃんに対して思い入れが強ければ強いほど、評価に苦しむ作品。

 

 恐らく大多数の人がこの作品を大好き、感動、面白い!と絶賛するでしょう。

ただ、「これがクレヨンしんちゃんなのか?」と言われれば疑問符が付く作品でもあります。

 

この作品を批判すれば「通ぶりやがって」だとか、「何を俺はわかってますよ感を出してるんだ」と言われます。

 

また、この作品が全く面白くもないのに高評価を受けていれば反論のしようもあるのですが、この作品自体が本当に素晴らしいだけに始末が悪い。

 

クレヨンしんちゃんファンにとって、この作品を語るのはかなり難しいものなのです。

 

と前置きが長くなりましたが最初に言います。

 

泣けました...

 

やっぱりダメですね。

泣くなってほうが無理な話です。

 

この映画が公開された当時の私は小学生6年生。

当時はギャグの面白さ、しんのすけの疾走シーンに感動していた私ですが、高校生、大学生、社会人と大人になるに連れてこの作品の立ち位置は変わっていきました。

 

特に「子供の頃」の自分と距離が出来れば出来るほど。

そう、例の「懐かしさ」ってやつがこの作品の意味合いを変えていくのです。

 

大人になるにつれて子供の頃のイメージしていた自分とのギャップが出来てきます。

 

もちろん良い意味でギャップが生まれる人もいるでしょう。

しかし、大多数の人は自分が憧れた「オトナ」になれていないのではないでしょうか。

 

私の場合だと、 

松坂大輔選手のようなスーパースターになるどころか高校一年のわずか二ヶ月で野球部を辞めて

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モテモテ大学生になるどころか世間からイケメン失格の烙印を押されて

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しまいには会社を辞めて飛び出したオーストラリアで自分を失いかける始末

 

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 そんなこんなですが、私は今日まで生きてきたわけです。

 

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それでも、

 

俺の人生はつまらなくなんかない!!

 

 

と野原ひろしばりに言いたいわけです。 

 

野原みさえ(29歳)まで後1年、野原ひろし(35歳)まで後7年。

 

恐らく、それぞれの年齢になった時に観るこの作品は私に様々なことを思い出させてくれでしょう。

 

というわけで、今後この作品を観るたびに過去の自分が何を考えていたのかを残すために備忘録的にこの作品に対する私の感想を綴っていきます。

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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』とは

概要

2001年4月21日に公開された『クレヨンしんちゃん』の劇場映画シリーズの9作目。

上映時間は89分。

興行収入は約15億円。

 

本作では20世紀、特に昭和30~40年代の高度成長期を懐古するコンテンツやギミックが多用されている。

そのため、本来のクレヨンしんちゃんの視聴者層である子どもだけでなく、むしろ子どもの親に向けられた作品であるとも言える。

 

本作のDVDのCMには俳優の阿部寛が起用され、大人の鑑賞にも堪え得る感動作であることを強調した。

あらすじ

万博を訪れていた野原一家。 到着の遅いひろしを待っていると、万博に突如怪獣が接近。 「万博防衛隊」である野原一家はこれに対抗し、戦闘機で万博へ向かっていたひろしは巨大ヒーロー「ひろしSUN」に変身し怪獣に立ち向かう。
…という特撮ビデオを撮影していた野原一家。

撮影も終了し「次は私の番」とみさえは胸を躍らせ、「魔法少女みさりん」に扮する。ビデオ撮影は「20世紀博」のアトラクションの一つであり、大人達は、子供の頃を懐かしむため20世紀博を満喫していた。


しかし、しんのすけやかすかべ防衛隊を含む子供達は20世紀博の子供部屋に預けられ、毎日のように会っていた。大人達の異常なハマり方に風間くんは疑問を抱き、しんのすけやひまわりも不満を漏らしていた。

また、20世紀博で昔を懐かしむだけに留まらず、街中では古い車が走り、古い電化製品やファッションが流行するようになって行くのだった。

 

ある晩「20世紀博からの大事なお知らせ」が放映される。

「明日の朝、お迎えにあがります。」 …という内容の短いものだったが、それを見たひろしとみさえはまるで何かに取り憑かれたように夕飯も食べず、しんのすけとひまわりを放置して寝てしまう。

 

朝になっても二人は元に戻らないうえに仕事にも行かず、家で暇をつぶしていた。

しんのすけが「仕事に行かないのか」とひろしに話しかけても、「大人が仕事に行かなくちゃならない法律でもあるのか」「国会で青島幸男が決めたのか」と、子供のような返答しか返ってこない。

 

見かねたしんのすけ達は幼稚園へ向かおうとするが、バスが来ないので仕方なくひまわりを背負って自力で幼稚園へと向かう。

道中、三輪車で幼稚園へ向かうと道端や公園で子供のように遊んでいる大人達を何人も見掛け、幼稚園の先生や近所の知り合い達までもが、ひろしとみさえのように豹変していた。

 

そこに大きな音楽を鳴らしながら街中を通るオート三輪の列が現れると、一斉にその列に集まって乗り込む大人達。

そこには両親のひろしとみさえ、意中の相手・大原ななこの姿があったので必死にオート三輪を追いかけようとするしんのすけだったが、姿を見失ってしまう。

 

大人達がいなくなったその後、かすかべ防衛隊はしんのすけの家に集まっていた。

「もしかしたら大人だけの帝国=オトナ帝国を作るのでは?」などと考えていると、TVの番組が昔のものへと変わっていった。

コンビニで食料を手に入れる事ができず、誰もいないバーで大人になった気分を味わうかすかべ防衛隊だったが、大人がいなくなったために街からは電気が消え、置き去りにされた子供達はパニックに陥る。

 

かすかべ防衛隊が明かりの消えたしんのすけの家でラジオを聴いていると、「20世紀博」の創立者で「イエスタディ・ワンスモア」のリーダーである「ケン」から「町を訪れる20世紀博の隊員に従えば親と再会できる」というメッセージが流れる。

それを聞いた大半の子たちは従ったものの、何か不穏な空気を感じたしんのすけ達は、そのまま迎えをやり過ごし隠れるのに丁度良いと、サトーココノカドーへ足を運び、そこで一夜を過ごす事を決める。

 

翌朝、迎えに従わなかった子供たちを捕まえる「子供狩り」が始まる。

追っ手の中にはひろしとみさえ、園長先生の姿もあった。

ひろしは文句を言いつつも、EXPO'70の部屋にいつでも出入りできる迷子ワッペンであっさり釣られてしまう。

 

サトーココノカドーではしんのすけのミスで「子供狩り」が始まる時間に起きてしまい、居場所をひろしとみさえに見つかったかすかべ防衛隊は店内や町中で追いかけっこを繰り広げる。

運良く幼稚園バスを乗っ取り、交代で運転をして逃げるも、「イエスタディ・ワンスモア」の部下たちによって20世紀博へ誘導され、しんのすけを除くかすかべ防衛隊の4人は捕えられてしまう。

 

難を逃れたしんのすけ・ひまわり・シロは「イエスタディ・ワンスモア」の作った「20世紀の匂い」によって大人達が「懐かしさ」に夢中になり、幼児退行していたことを知る。

 

しんのすけ・ひまわり・シロは包囲を抜け、EXPO'70の部屋に入り込むと、子供に戻ったひろしが「月の石を見たい」と、銀の介・つるに駄々をこねている姿があった。

しんのすけの説得に聞く耳を持たないひろし。

そこでしんのすけは「昔の匂いで子供に戻っている」事を思い出し、ひろしの靴を奪って臭いを嗅がせ、実際の子供の頃の記や、家族との思い出を思い出させる。

 

正気を取り戻したひろしは、涙ぐんでしんのすけを抱きしめるのだった。

次いでみさえもひろしの靴で元に戻される。

再会を喜ぶ野原一家の前にケンが現れ、地下街へ案内される。

そこはいつも夕日で、昔懐かしい雰囲気。変わる事のない過去を生きる住人達がいた。

 

一行は古風なアパートに到着する。

招き入れられた部屋にはケンの恋人・チャコがいた。

そこでケンから「20世紀の匂い」の散布装置が起動した瞬間、20世紀が復活するという計画を語り、どうするか決断しろと告げ、野原一家を一旦は解放する。

 

野原一家は散布装置を止めるべく、オート三輪を奪って20世紀博のタワーへ向かう。 「イエスタディ・ワンスモア」の追っ手から逃れつつ、階段を登り、鉄骨を伝い、大勢の追っ手を全て始末するも、エレベーターで散布装置を目指すケン・チャコに追いつかれてしまう。

そして対峙する両者。

改めてケンはひろしに誘いの言葉をかけるが、ひろしは拒否。

その言葉にみさえ・しんのすけ・ひまわり・シロも賛同する。

この会話をもって両者は決別し、エレベーターを出発させるべくドアを閉めるケン。

ひろしは「イエスタディ・ワンスモア」の部下に妨害されつつも、閉まるドアを閉めまいと必死に抵抗し、みさえ・しんのすけ・ひまわり・シロは散布装置を目指す。

しかし、ひろしはドアから手を放してしまい、エレベーターは出発してしまう。

 

その頃、みさえ・しんのすけ・ひまわり・シロは階段を登り、散布装置を目指していた。

「イエスタディ・ワンスモア」の部下が追るが、みさえ・ひまわり・シロは追っ手を食い止め、しんのすけは一人散布装置目指して階段を駆け上がる。

階段から転げ落ち、手すりにぶつかり、自らの身体をボロボロにしながらも、子供の未来を取り戻すべくしんのすけは走り続ける。

 

散布装置に先着したのはケン・チャコだったが、地下街の住人たちが野原一家を見て21世紀を生きる気になった=「イエスタディ・ワンスモア」を裏切ったため、匂いのレベルは0になる。

 

匂いの散布を阻止することに成功した野原一家だったが、ケン・チャコは「もう外には戻らない」と、飛び降り自殺を図る。

しかし、しんのすけの「ずるいゾ!」の一言とハトによって阻止され、命を取り留める。

 

こうして大人たちは元に戻り、ケン・チャコは新天地を求めて愛車のトヨタ・2000GTで去って行くのだった。

引用:クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 - Wikipedia

 


「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 予告編

 

この作品が後のクレヨンしんちゃんに与えた影響とは

私の意見ですが、明らかにこの作品以降「クレヨンしんちゃん」に対する世間の期待感が変わりました。

 

それは感動、家族愛、泣けるといった要素が強く求められるようになりました。

この強くという部分がミソで、今までだってこの要素がなかったわけではありません。

 

例えば、「ヘンダーランド」や「ブタのヒヅメ」など。

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 それまではギャグなども含めて絶妙なバランスの上に成り立っていたのに、「泣ける」という要素がこの作品を皮切りに前面に押し出されるようになってしまったのです。

いわばこの作品と後の「戦国大合戦」はクレヨンしんちゃんに常につきまとう亡霊化したのです。

 

実際、しんのすけ役の声優矢島晶子氏はこう語っています。

しんのすけ役の矢島晶子は2005年の原恵一との対談で本作を劇場版の中で「一番好き」であると断言しており、本作および次回作である『戦国大合戦』の2作は別格で、「これからどうなるかわからないですけど、今のところ、あの2本を超えるのはかなり難しいだろうと思う

 

また、この作品の監督を務めた原恵一氏も「戦国大合戦」を最後にクレヨンしんちゃん映画の監督を降板されています。

降板の理由について「自分が劇場版に関わって10作目と区切りもいいし、ネタも何とか絞り出して出来たのが『オトナ帝国』と『戦国大合戦』の2作。これ以上続けても同じことの繰り返しにしかならない」と語っている。テレビアニメの方も2004年7月には完全に監督をムトウユージに引き継がせて降板。

 

長く製作に関わってきた二人にとってもこの作品を超えるものはそうそう生まれない思わせる作品。

それだけ視聴者、製作者両方にとっても影響の大きな作品である。

 

「未来を取り戻す」をコンセプトにした作品で共感を与えた作品のせいで、クレヨンしんちゃんというコンテンツは過去の亡霊に苦しめられる皮肉。

 

「昔のクレヨンしんちゃんの方が面白かった」と

クレヨンしんちゃんにおける涙の変化

この映画以降「泣ける」という言葉がどうしても引っ付いてくるようになったクレヨンしんちゃん。

ここでクレヨンしんちゃん映画の涙の変化に着目してみます。

 

以前このブログでも話した通り、過去の劇場版にてしんのすけが泣くシーンはセリフも涙を誘うような音楽・演出もなく一瞬の出来事でした。

  

あくまでひっそりと泣いて、涙は隠す。

この涙の後のしんのすけはいつも通りのしんのすけとして明るく振舞っています。

 

ところが、この作品を皮切りに正面向いて堂々と泣くシーンが増えてきました。

 

これはクレヨンしんちゃんファンにとって賛否が分かれるのところなのです。

別に泣けるシーンがあっても良いのです。

ただあまりにも狙いすぎていて、かつその涙が安い。

何よりその感動に注力するあまり肝心のギャグのキレが弱まってしまったのです。

 

「ブリブリ王国の秘宝」でルルがみんなを庇って身代わりになるシーンがあります。

そこで泣いているサリーにしんのすけが「何笑ってるの?」とボケるシーンがあるのですが、今のクレヨンしんちゃんなら確実に泣かせにくるところでしょう。

こういったところからもクレヨンしんちゃん映画の変化が見て取れます。

 

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もちろん泣くこともあります。

でもそれを表に出さず、無理矢理な展開でおバカな笑いに変えていく。

それこそが本来のクレヨンしんちゃんだったはず。

 

だからこそ古参のクレヨンしんちゃんファンはこの作品を許せないのでしょう。

この作品が嫌いなのではなく、この作品が与えた影響が。

 

そのため「オトナ帝国」は好きかと問われるとオールドファンは苦心してしまう。

この作品を肯定することは泣けるクレヨンしんちゃんを肯定、助長することに繋がるのではないかと。

 

だから、昔のクレヨンしんちゃんを好きな人は「オトナ帝国は面白い」という話と「クレヨンしんちゃん映画は泣ける」という二つの異なる話を分けて考えたいのです。

 

ただこれを分けて話そうとするとライト層にとっては面倒くさいやつでしかない。

せっかくクレヨンしんちゃんを好きだと言ってくれる人を否定したくない。

 

そんな葛藤をクレヨンしんちゃんファンに与えてしまうのがこの作品なのです。

理想のお父さんの代表になった野原ひろし

 この作品で一番評価を高めたのは野原ひろしでしょう。

ある意味主役の野原しんのすけ以上に目立ってしまいました。

 

有名な「ひろしの回想シーン」のおかげで。


劇しんBGM「ひろしの回想」

 

恐らくこの作品の一番の号泣ポイントはこのシーンでしょう。

また一番印象に残るシーンと聞かれたらこのシーンかしんのすけが階段を駆け上がっていくラストシーンではないでしょうか。

 

このひろしの回想シーンは私が今更説明する必要もないくらい最高のシーンです。

一切セリフなしで音楽と映像だけで野原ひろしという男の過去から今の想い、生き様を表現しきってしまう。

 

このシーンにはひろしにあれだけ楽しかった、しがみつきたかった過去よりも家族と今を生きたいと思わせるだけの説得力がありました。

 

このシーンなくしては前半パートのオトナたちの過去への執着(子供を蔑ろにして追い掛け回す)から後半パートの未来を生きたいと想いに変わる切り替えが出来なかったでしょう。

懐かしさに後ろ髪を引かれながら涙して家族と共に走るひろしはこの映画のターゲット層である過去を懐かしみながらも家族のために生きるオトナ(親)の代弁者だったのです。

同時にこれ以降のひろしは日本のお父さんの代名詞になっていったわけです。

 

この作品は野原ひろしに求められる役割を決定版に変えた作品でもあるのです。

モノに執着している 21世紀人と心に執着した20世紀人

この作品では様々なコントラストが描かれています。

代表的なのはオトナと子供、未来と過去、そしてモノと心。

 

物語冒頭、イエスタディ・ワンスモアのチャコとケンがこんなことを言います。

 

ケン:昔、外がこの町と同じ姿だった頃、人々は夢や希望にあふれていた。21世紀はあんなに輝いていたのに。今の日本にあふれているのは汚い金と燃えないゴミくらいだ。

チャコ:外の人たちは心がからっぽだから、モノで埋め合わせしているのよ。だから、いらないものばっかり作って、世界がどんどん醜くなっていく。

 

このセリフはこの映画のテーマ、メッセージ、そしてイエスタディ・ワンスモアが目指すものを一気に表現してみせています。

 

イエスタディ・ワンスモアに大人を攫われたあと、コンビニや居酒屋、百貨店などを使ってその寂しさを紛らわす子供たちはモノで埋め合わせする21世紀人を表しています。

 

ただ、この描写が単純な対比とならなくなっていく箇所があります。

それはケンが愛車トヨタ・2000GTを「俺の魂」と呼んでいるシーンです。

 

この愛車はかすかべ防衛隊によって傷つけられ、しまいにはしんのすけにおしっこをかけられてしまいます。

それに対してケンは猛烈な怒りを表します。

モノではなく心を重視していたはずの彼もまたモノに支配されているのです。

 

逆に普段かすかべ防衛隊が愛用する幼稚園バスが敵に傷つけられようとも彼らは構わず、目的に向かっていきます。

モノを大切にせずに埋め合わせればいいからの精神があるからこそ気にしなかったともとれるでしょう。

 

このシーンはモノと心、本当はどちらがどちらに奪われてしまっているのかが曖昧になっていることを表しているのです。

 

そして、このモノと心への執着が逆転するシーンがクライマックス直前にあります。

 

イエスタディ・ワンスモアの野望を阻止するべく走り去っていく野原一家を見てケンはこう言います。

 

最近、走ってないな....

 

これがクライマックスの階段を駆け上がるシーンに繋がっているのです。

そしてさり気なく野原一家の会話のなかでひろしが重要なキーワードを入れてきます。

 

みさえ:どうするの?エレベーターとか探すの?

ひろし:いやエレベーターは途中で止められたらアウトだ!

みさえ:えっ.. じゃあ...?

ひろし:親にもらった足があんだろっ!!!

 

これが強烈に聞いてくるのはしんのすけが階段を掛け上がるシーン。

父、母、飼い犬ら家族の想い(心)を背負ってしんのすけは未来を掴みにいきます。

 

そしれそれとは対照的にチャコとケンは無機質な表情でエレベーター(モノ)を使って過去を手にしにいきます。

 

果たして本当に心がなかったのはどちらか。果たして本当にモノで埋め合わせていたのはどちらだったのか。

そんなことをこのシーンは問いているのです。

まとめ

私は平成元年の4月2日生まれ。

私が生まれた時は日本中のほとんどの人が昭和の人でした。

 

また、クレヨンしんちゃんの連載が始まったのは1990年。

私とクレヨンしんちゃんはいわば昭和と平成の変わり目に誕生したのです。

 

昭和と平成の匂いを両方知るだけにこの作品で過去を懐かしむ人の気持ちも21世紀に希望を持っていた人の気持ちの両方がわかります。

 

作家の司馬遼太郎さんは「21世紀に生きる君たちへ」でこう書かれています。

書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

 

 

多くの歴史の悲しい側面を見つめてきた司馬さんですが、21世紀への希望的観測を持っていました。

 

世界単位の戦争が続き、暗い側面を持っていた20世紀。

20世紀を生きた人々は21世紀に明るい希望を見出していたのです。

そんな希望の21世紀は果たしてどんな世紀となるのか。 

 

クレヨンしんちゃんが取り戻したかった、生きたかった21世紀。

全て上手くはいかない私ですが、俺の人生はつまらなくなんかない!と胸を張って言ってやろうと強く思わされる作品でした。

 

今回はいつもにも増して私の主観バリバリかつ『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』の考察から逸れてすみません。

 

中途半端な考察兼私の備忘録であるとことをお許しください(笑)

 

ご家族をお持ちの方から、そうでない方まで様々な層が楽しめる作品であることは間違いありません。機会があれば是非ご視聴なさってください。

 

それでは、さようなら!

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