死ぬまで生きる問題

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意外と知らないプロ野球選手のアマチュア時代の伝説ベスト4

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見てはいけないモノを見てしまった猫

プロ野球選手といえば常人とはかけ離れた人たちの集まり。

よく言われるのは東大に合格するよりプロ野球選手になるほうが難しいという話。

 

東大の年間合格者数はだいたい毎年3,000人。

それに対してプロ野球にドラフトで指名される(育成は除く)のは100人前後(1球団7名前後指名する計算)。

東大の合格者と比べてプロ野球選手になれる数はなんと1/30の少なさ!

 かなり狭き門だということがおわかり頂けたでしょう。

しかも毎年同等以上の人数(100人前後)が毎年戦力外などで球界を追われていくことを考えると、かなり過酷な世界であることもおわかり頂けるでしょう。

 

そんなプロ野球に入る選手たちはアマチュア時代から伝説級の活躍をしているものです。

今日はその中でも甲子園や大学野球での活躍・成績・逸話とはちょっと外れた角度のアマチュア時代の伝説を紹介していきます。

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なぜ私がアマチュア時代の伝説に惹かれるのか

私がなぜアマチュア時代の伝説に惹かれるのか。

それはほんの少しだけですが共感出来る面があるからです。

 

というのも正直プロ野球の世界で打率3割を残すこと、年間50試合登板することの過酷さ、年間143試合フル出場することのコンディション調整の難しさなどは私によくわからないんですよね。体験したことがないので。

 

記録を見て、他の選手の記録と比較してその数字の希少性からことの難しさを推し量ることはできます。

選手の談話などを聞いて想像することも出来ます。

でも、その本当の難しさはやっている当の本人やプロ野球選手同士でしかわからない世界だと私は思うです。

なので、私はあくまで相対的にその価値や難易度を知ることしか出来ません。

 

自分の実体験と照らし合わせられないので遠い世界での出来事という印象しかないのが私の正直な感想です。

 

対してアマチュア時代の伝説は少しだけですが、私も同じような状況にたったことがあるので共感できる面があります。

「私も同じ状況、同じ年齢の時にアマチュアで野球をしたことがあったけどそんなに評価されていたのか、そんな凄いこと同時期にしていたのか。」などの驚きです。

 

ですので、私はプロ野球選手のアマチュア時代の伝説に惹かれるのです。

私が驚愕したプロ野球選手のアマチュア伝説ベスト4

4位:プロ野球選手にならなければ弁護士を目指していた

以前の記事でも紹介した佐藤友亮選手。

www.shinumade.com

 

 その学歴は他の野球選手とは一線を画します。

スポーツ推薦ではなく一般受験で慶應義塾高等学校に入学し、そのまま慶應義塾大学に進学・卒業。

 

現在の野球界で学業面でも優秀な選手と言えば、京大出身のロッテ田中選手、慶応理工学部で履修科目の成績オールAの中日福谷選手、大学日本代表に選ばれた東大宮大選手などの名前が挙げられます。

 

では、なぜ私が佐藤友亮選手のアマチュア時代に惹かれるかというと常に先を見据えて学生生活を送っていたことが凄いなと感じるからです。

 

佐藤選手は慶應義塾大学の卒業必要単位を3年終了時に取得していたそうです。

佐藤選手は過去に「プロ野球選手にならなければ弁護士を目指していた」と発言したことで話題になった選手です。

 

そのためもしドラフトで指名されなければ、すぐに司法試験に向けて勉強する予定だったのでしょう。

もちろんドラフトで指名されれば、すぐにプロに向けたトレーニングをする。

よく大学生でプロから指名された選手が大学の単位が足りないなんて話題になったりしますが、そんなことになれば大学在学中から始まる2月のキャンプに間に合いません。

 

常に先のことを見据えて大学生活を過ごした姿勢に私は非常に惹かれるのです。

 

私は大学時代に野球をやってはいませんでした。

しかし、大学で野球をやっていた人から聞く大学野球という過酷な状況環境は驚かされるものばかりです。とにかく精神的にも肉体的にも大変そうな環境です。

その中にあって、勉学も両立させるのは非常に難しいことでしょう。

 

自分が大学時代にへらへらしながら時間を過ごしていたからこそ、その凄さを素直に尊敬出来るのです。

 

佐藤選手はその学歴や逸話だけでなく、実際のインタビューなどでもその知性を感じさせてくれます。

佐藤選手が引退セレモニーで見せた関係各位を含めた感謝の言葉はその知性を大いに感じさせてくれるものでした。


10/6 平尾・佐藤・大島3選手引退セレモニー

 

選手としての人生は幕を閉じましたが、その知性を今度はコーチとして活かして西武ライオンズの後進の育成に励んで欲しいです。

3位:中学生時代に50以上の高校から勧誘を受けた

実は私は中学時代に、とある高校の野球部から勧誘を受けたことがあります。

たった2校だけですが(笑)

 

ただその中には当時・そして今でも甲子園出場をすることがあり、プロを排出することもある高校が含まれていました。

結果的にその高校にはいかなかったのですが、勧誘を受けたことをとても喜んだことがあります。

 

ところがダルビッシュ有選手は中学生時代に50以上の高校から誘いがあったそうです。中には誰もが知る超名門高校の数々。

自分がちっぽけになるような数字と内容です(笑)

 

ダルビッシュ有選手は中学3年のときに身長180cm、球速130km台、当時から5~6種類もの変化球を操ったそうです。

今のように筋肉隆々の剛速球投手ではなかったようですが、その才能は当時から誰もが認めるものだったそうです。

 

ちなみに私の中学時代は身長165cm、球速110~120km台、変化球はスライダーのみでした。

比較するものが違いすぎますね(笑)。

2位:国際大会で4つの金メダルを獲得!! 歌手として全米デビュー

今度はところ変わって海を超えたMLBから1つ伝説を。

その伝説の主は言わず知れた元ヤンキースのスーパースター バーニー・ウィリアムズ選手。

その実績は首位打者1回、ゴールドグラブ賞4回、オールスター出場5回、8年連続打率3割、ワールドシリーズ3度制覇。

ヤンキースの黄金時代を支えた中心選手の一人です。

 

バーニー・ウィリアムズ選手と言えば背番号51で知られる選手です。

その番号はヤンキースの永久欠番になるほど。

あのイチロー選手がヤンキースに入団した際に憧れの存在であるバーニー・ウィリアムズ選手に敬意を表して51番の使用を断ったのは有名な話(マリナーズ時代にランディ・ジョンソンの後に51番を付ける時にどう思ったのかよってツッコミは置いといて(笑))。

 

それだけ偉大な選手であるバーニー・ウィリアムズ選手ですが、才能は野球だけにとどまりません。

 

15歳の時に陸上競技のプエルトリコの代表として出場した国際大会で4つの金メダルを獲得!!

特に400m走の世界ではかなり有名な存在だったそうです。

 

また、「小さい頃は野球選手よりもプロの音楽家になりたかった」というほど音楽の才能にも長けています。

2003年7月15日にメジャーデビューアルバムを発売し、野球選手を引退後もプロのミュージシャンとして活躍しています。

これほどまでにマルチに世界で通用する才能に溢れた人物が過去にいたのかというほど偉大な人物。

 

私は小学生低学年の時に2年だけピアノを習っていて、足も速かったですが、全く共感するとこはありません(笑)

1位:初回先頭打者敬遠!? 相手高校の秘策とは

岩村明憲選手といえば青木宣親、山田哲人選手の前にミスタースワローズとして背番号1を付けた名選手。

祝2000本安打! アストロズ青木宣親選手の伝説ベスト10 

ヤクルト山田哲人選手が目指す三年連続トリプルスリーと日本三度目のWBC制覇

 

メジャーリーグでも活躍し、万年お荷物球団と言われたレイズをリーグ優勝に導く活躍をしたことでも知られます。

 その岩村明憲選手は高校時代に、相手チームからとんでもない秘策をとられたことで有名な選手。

それはなんと『初回先頭打者敬遠』。

 

高校3年生の夏の大会。上甲監督から、『大会の本塁打記録を狙え』と言われて指名されたのが1番バッターで、その最初の打席が敬遠だった」

引用:「ミスタースワローズ」岩村明憲が福島で現役を続ける深いワケ 岩村明憲(ヤクルトスワローズ、福島ホープス他) WEDGE Infinity(ウェッジ)

 

この狂気の沙汰とも言える秘策をとられたというのは非常に驚きです。

単純に考えて無死ランナー無しとランナー1塁では圧倒的に後者の方が得点確率は上がります。

 

これが岩村明憲選手のワンマンチームの弱小校であればまだ納得できるのですが、岩村明憲選手の学校は強豪宇和島東高校。

1988年には甲子園で優勝し、数多くのプロ野球選手を排出したことでも知られます。

 

しかもこの当時のチームにはのちにプロで打者としても活躍する宮出隆自選手が同級生にいました。

強豪校のクリーンアップにランナー有で回しても良いと思わせる存在。

これでどれだけ岩村明憲選手が対戦相手から恐れられていたかがお分かり頂けるでしょう。

 

更に言うと岩村明憲選手は身体能力が高い選手としても知られ、一塁到達4.2秒台と俊足。

NPBで三度、MLBで一度の二桁盗塁を記録しています。。

それだけ俊足の岩村明憲選手を塁に出しても良いから敬遠したいと思わせるほどの打者。

それが当時の岩村明憲選手の凄さです。

 

私は小学生の時に主に1番打者を任されていました。

また中学時代は3番打者として時に敬遠をされるという経験をしたことがあります。

しかし一度たりとも初回先頭打者敬遠なるものをされたことがありませんし、見たこともありません(プロ野球でも)。

 

もしかしたら二度とお目にかかれないかもしれない作戦。

逆にそんなことをされるほどの選手が出てきたらその選手は物凄い選手。

 

いつか第二、第三の岩村明憲選手を見てみたいものです。

まとめ

栴檀は双葉より芳し。

やはり偉大な人物というのは若い頃からその才能をいかんなく発揮していたようです。

 

しかも中にはそれが野球だけにとどまらない人までいるのですから本当に驚きです。

その才能にあぐらをかくことなく努力を続けられたこともまた更に驚きです。

 

今度もまた私の想像を超える規格外の伝説が生まれるのを期待しています。

 

それでは、さようなら!

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