メジャーリーガーの不在で挑む今回のWBC。
上原浩治、岩隈久志、ダルビッシュ有、田中将大、前田健太選手らの世界トップクラスの投手陣不在で臨む侍ジャパンには投手力の面でやや不安が残る。
そんな中で大谷翔平選手と並んで、エースとしての期待を寄せられる男が菅野智之選手だ。
菅野智之投手は日本で最も野球IQが高い投手だ。
制球力や変化球、速球の質だけでなく、打者を観察する力、自身が投球が打者にどう見えているのか、また自分に足りないものは何なのかを常に考えながら野球が出来るからだ。
巨人入団の経緯からしてメジャー挑戦は難しいかもしれない。
しかし、私は彼に早くメジャーに挑戦して欲しい。
それは彼なら先に挙げた先輩メジャーリーガーたちに負けず劣らない成績を残せると信じているからだ。
そこで今日は侍ジャパンでエースとしての活躍を期待される菅野智之投手について話していく。
目次
菅野智之選手とは
東海大学時代の2011年ドラフト会議で巨人と日本ハムによる抽選の末、日本ハムファイターズが交渉権を獲得するものの入団を拒否。
翌2012年のドラフト会議で読売巨人軍から一巡目指名を受け、プロ入り。
一年目から期待に添う活躍を見せ、13勝を挙げた。
その年の日本シリーズではシーズン無敗の田中将大選手(当時楽天)にこの年シーズン公式戦とポストシーズンを通じて唯一の黒星をつけた。
二年目は自身初の開幕投手を務めると見事期待に応え、最終的には12勝5敗、防御率2.33で最優秀防御率を獲得。
チームのリーグ優勝に貢献したことが評価され、セ・リーグMVPにも輝いた。
三年目は二年連続となる開幕投手を務めると、シーズンは最終的に10勝11敗、防御率1.91で入団から3年連続二桁勝利をマークした。
しかし、好投しても打線の援護に恵まれなかったことが多く、初めて負け越しとなった。
四年目は三年連続開幕投手を務め、7回無失点の好投。
1993年から1996年にかけての斎藤雅樹(現・2軍監督)以来となる3年連続開幕先発勝利投手となった。
防御率と奪三振王のタイトルを獲得したが、味方の援護が無く勝利数が伸びない傾向は相変わらずで9勝6敗だった。
私の菅野智之選手の思い出
私が菅野智之選手のプレーを初めてみたのは彼が大学生の時に行われた日米大学野球のときだ。
この時のメンバは本当に豪華で、斎藤佑樹、大石達也、澤村拓一、野村祐輔らのそうそうたる顔ぶれが揃っていた。
西武大石達也投手は復活から覚醒へ 怪我から這い上がった6球団競合右腕の逆襲
しかし、私が見た試合で最もアメリカチームを圧倒していたのは菅野智之選手だった。
今とはプレースタイルは異なり、ガンガンストレートで押していく投球だったが、そのスピードと癖のあるボールにアメリカ打線は苦戦していた。
飛ばしすぎた影響か試合途中でつかまってしまったが、あの時彼に感じたポテンシャルは他の選手より遥かに上だった。
私は彼が原辰徳氏の甥であることをこの後知った。
しかし、そんな肩書きがなくとも彼が優れた投手であることは明白だった。
私と彼は同学年にあたる。
同学年の89年生まれの野球選手では打撃なら中田翔選手、投球なら間違いなく菅野智之選手が最も才能がある選手だ。
常にとまらなぬ多彩な進化
彼は野球選手として常に高いレベルで進化を続けている。
その中から彼が進化を遂げた二つの理由を紹介する。
大学留年期間で進化した制球力
私の中で、大学時代の彼のイメージは剛球投手だった。
しかし、入団前の騒動の中で彼は自身の足りない部分に気づいたそうだ。
それは日本人が海外で活躍するには圧倒的な制球力が必要であると。
そこから彼は文字通り針の穴に糸を通す制球力を身につけた。
彼の大学浪人期間を無駄だと指摘する声もあったが、私はあの1年間は彼にとって欠かせない時間であったとも考えている。
並みの人間であればコンディションを崩したり、無駄な時間を過ごす可能性もあったが、彼ほど自分を見つめられる男にとっては必要な充電期間となった。
また、同時に肩を休められたことも彼の野球人生にはプラスに作用したはずだ。
1年の浪人期間を経て、彼は制球力重視の投手へと変貌した。
それは原辰徳の甥という宿命、東海大相模、東海大学、巨人と常に試合に勝つことを求められた男がたどり着いた『負けない投球』への変貌だったのだ。
打者を制圧出来る投手への変貌
彼はプロ入り後安定した成績を残していった。
しかし、周囲からは彼のかわすピッチング(に見える)に物足りなさを感じる声も上がっていた。
転機となったのは2015年のプレミア12。
そこで自身の投球がアメリカ相手に通用しなかった現実。
大谷翔平、則本昴大選手が速球で力強く相手を抑える姿。
そこで菅野投手は自分には打者を力で抑え込む速球が足りないことに気づいた。
そこから彼はオフも死に物狂いでトレーニングに励んだ。
菅野投手は「楽しんで野球するという言葉の意味がわからない」とコメントしたことがある。
本当に最高の結果を得ようとしたら苦しいことのほうが多いからと。
そこに私は彼が野球選手である限り、常に背負わせ続けられている”原辰徳の甥”という宿命に立ち向かう姿勢を垣間見た。
そして2016年、彼はそれまでの変化球主体の投手から速球で牛耳る投球も出来る投手に進化していた。
それでいて、以前と変わらぬ制球力も維持しているのだから本当に驚かされる。
結果的には個人の投球内容とは反して勝ち星は伸びず、チームを優勝に導けなかった。
しかし、彼が見せた進化は間違いなく本物だった。
侍ジャパンで期待される役割
菅野智之選手の長所の1つは打者を観察する力。
これは侍ジャパンにとって非常に武器になる。
というのも普段のペナントレースとは違って、WBCではデータの少ない初対戦の選手と相対する機会が増える。
そんな中で観察眼に優れた菅野智之選手が打者の癖や特徴をベンチに伝聞することが出来れば、チームにとってはこの上ない強みだ。
球数制限があり、菅野智之選手が最後までマウンドにいられないことを考えると彼がマウンドを降りた後にもチームに影響を与える活躍に期待したい。
彼はその観察眼を活かして、自身のスライダーがWBC公式球では有効ではないことを察知した。
そして、持ち前の繊細な手先を活かして新球種への取り組みを始めた。
この観察眼は彼の投球技術と併せて侍ジャパンの武器となる。
追記
優勝には届かなかったが、菅野投手はエースとして侍ジャパンをベスト4に導いた。
準決勝アメリカ戦の好投は本当に素晴らしかった。
6回67球3安打5三振1四死1失点(自責点0)。
間違いなく菅野投手がメジャーでも通用することを内容と結果で証明してみせた。
一世一代の大勝負で技術と魂が融合して最高の投球を披露してくれたことに最大級の賛辞を送りたい。
まとめ
常に進化を遂げ続けてきた菅野智之選手。
その進化が出来た背景には常に覚悟を持って臨んできた姿勢と自分に足りないものを見つけられる姿勢があったからだ。
今後の野球人生でも彼は常に自身を見つめ続けて進化していくだろう。
2017シーズンもまた進化したニューモデルの菅野智之選手がどんなパフォーマンスを見せるのか。
今から楽しみで仕方ない。
それでは、さようなら!
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