昨日ケンブリッジ英検の問題を解いていて意味がとれない熟語があった。
それは『head start』という熟語だ。
頭からスタートするだから最初からスタートするという意味かとも思ったがそれでは意味が文脈と合わない。
テスト終了後に調べたところ、『有利なスタート』という意味だそうだ。
ただ、その言葉の意味以上に気になったのが、検索で同時に引っかかったアメリカで行わているhead startというプログラムだ。
どうやら低所得層の3歳から4歳に向けた就学援助のプログラムらしい。
内容は就学前にアルファベットを読んだり、1から10までを数えられるようにすることを目的としている。
連邦政府の援助の中では宇宙開発に次ぐ規模の予算らしく、2005年の下半期には2,200万人の子どもたちがこのプログラムに参加しているそうだ。
詳細は下記参照↓
今日はインドと日本の識字率から見る貧困事情と日本の恵まれた環境について語っていく。
世界の識字率と識字率が低いことで発生する貧困
世界でどれだけの人が文字を読めないかご存知だろうか。
世界では、約5,900万人(*1)の子どもたちが学校に通えず、
7億8,100万人(*2)の成人が読み書きができないと言われています。
なんと世界の約1割の人が文字を読めないのだ。
そのうちの2/3は女性とも言われている。
世界に未だ残る男尊女卑の考えが識字率という方でも現れているのだ。
文字が読めないことは生活が不便なだけでなく、必要、欲しいな情報が手に入れられない不利益、十分な意志疎通が出来ない社会的制約を生む。
そういった人が多いことは地域、国単位で経済的不利益を被ることになる。
識字率の解消が貧困解決に繋がることも統計的に証明されているのだ。
- 母親が読み書きできると、5歳未満の乳幼児死亡率が低い。
- 女性の識字率が高いと、女児の就学率も高い。
- 成人識字率が高いと、小学校5年次まで在学する児童の割合も高い。
- 識字率の高い国は、平均寿命が長く、一人あたりの収入や農業生産性が高い。
生活がままらなく、経済的に不利益になるどころか、生命の危機に脅かされる可能性が極めて高くなる。
それだけ、識字出来ることは感謝すべきありがたいスキルなのだ。
日本の識字率とインド極貧国地域ガヤ
現代の日本で日本人として生まれ、日本で育った人で文字を読めないという人はほとんどいないだろう。
実際日本の識字率は100%に近いという調査もあり(近年は調査が実施されておらず正確なデータはない)、基本的に日本人は日本人のことを読み書きが出来る前提で考える。
1948年8月、CIEは「日本語のローマ字化」を実行するにあたり、日本人がどれくらい漢字の読み書きができるか調査を行なった。調査地点は270ヶ所の全国の市町村で、15歳~64歳の1万7千百人が調査対象になった。調査対象となれば、炭焼きのお婆さんでもジープで連れ出して日本語のテストをさせたという。
調査の結果、テストの平均点は78.3点で、日本人は97.9%という高い識字率を誇っていることが判明した。テストで満点を取った者は4.4%で、ケアレスミスで間違えたのではないかという者で満点と認めてもよいという者が1.8%いた。合計すると6.2%(約500万人)が満点という好成績だった。引用:日本の世界一
元々日本では江戸時代の頃から武士階級の人間であれば識字率が100%に近かったとも言われており、当時から世界をトップ水準だった。
アメリカという先進国で非識字者に対して前述した規模のプログラムが行われていることは日本人にとって中々想像出来ないことである。
私は先月インドに一ヶ月ほど滞在していたのだが、そこでブッタが悟りを開いたとされるガヤという場所を訪れた。
ブッタが悟りを開いた大菩提寺があるブッタガヤに行った話 ~世界各国の仏教寺と座禅体験、やっぱりグルメ~
ブッタが悟りを開いたとされる菩提樹はブッタ・ガヤというところにあり、そこにはガヤ駅からタクシーを使って20分ほどかけていかなければならないのだが、その途中でタクシーから見た光景はとても観光地付近とは思えない雰囲気だった。
裸同然の格好をした人々が屋根もないような家で身を寄り添って生活していた。
言葉では表せないが、なんだか灰色がかった雰囲気のような光景が広がっていた。
あとで調べてわかったのだが、ブッタ・ガヤがあるビハール州はインドで最も貧しい地区で、州の識字率は50%を切るとも言われている。
識字率とは関係ないのかもしれないが、その街では英語を話せない人と会うことが多かった。
私はブッタ・ガヤでバックパックホテルを使った。
そこは家族経営のホテルで家族が一緒に住んでおり、そこに住む子どもたちと食事をしたり、ダンスをしたりした。
その際テーブルの上に英語とヒンドゥー語で書かれた語学学習用と思われる教科書とノートを見かけた。
その時ふと、「この子たちは少なくとも読み書きが出来るのか」と安堵したと同時に”こんなこと”で安堵しなければいけない状況がまだ世界にはあるということにひどく落ち込んだことを覚えている。
誤解を恐れず”こんなこと”という表現を使ったが、読み書きを出来るということはそれだけ今の社会において前提となっていることなのだ。
情報弱者という言葉について
日本では最近”情弱”という言葉が使われたりするが、現代社会において情報を持つものと持たざるものとの差は増すばかりだ。
例を挙げると、通常よりも安くサービスを手に入れられたり、最新のHow toを知ったり(語学学習メソッドやエクササイズの方法など)などがそうだ。
ただ、厳密にいうと情報を持たないものが損をするのではなく、持つ者が得をするといった方が正しいかもしれない(そのギャップを損というのかもしれないが)。
私がこんな表現をするのは少なくとも読み書きが出来れば損をすることはなく最低の暮らしは出来ると考えているからだ。
だが、先に触れた貧困にあえぐ人たちはその最低の暮らしさえできない。
私はこの状態のことを損だととらえているから、日本において情報を持たないものは損をしているとは思わない。
話が少しそれてしまったが、より良い情報を得るためには読み書きが出来る能力が非常に重要になってくる。
これだけ世界的にインターネットが普及した今、世界中の人が情報共有をでき、情報を発信することが出来る。
その情報を得るには読み書きが最低限必要となってくる。
読み書きをほとんどの日本人が出来るというこの状況は本当に感謝しなければならないことである。
そしてその感謝する状況は情報を取得する時だけでなく、今こうしてブログを書いている時も同様だ。
今私がこうしてブログを書けること、そしてそれをほとんどの日本人が読むことが出来るということ。
それらの私が今まで当たり前に感じていた世界では当たり前でないことを前提にブログという活動が成り立っているのだ。
最後に
時にブログを書くことを面倒に感じたり、英語の勉強にやる気がおきなくなったりするが、それらの行為は読み書きが出来なければできない行為だ。
そう、恵まれた環境を与えられて育ったからこそ成り立つ環境なのだ。
そして、私が今こうして1つの気づきを得られたのも英語の勉強をきっかけにインターネットを用いて調べたことによるものだ。
つまり読み書きが出来なければ気づけないことだったのだ。
今回の気づきを経て、今の私の生活に欠かせないものである”読み書き”が出来ることに感謝して日々生きていこう。
そんなことをふと感じたのでブログを通してお伝えさせて頂いた。
それでは、さようなら!
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