ブログのタイトル的におおよそでてこなさそうな話題ですが、
私は日本のプロ野球球団である埼玉西武の約20年来のファンなのです。
本日はなぜ私がファンになったのか、これまでのファン歴についてお話していきます。
- なぜ私が埼玉西武ライオンズファンになったのか
- 1998~2016年までの西武の思い出と好きな選手
- 熱狂的な松井稼頭央ファンになる
- 2008年のシーズン・シリーズで眠っていたファン魂が復活する
- 某西武ファンのブログをきっかけに野球への見方・考え方が変わる
- 最後に
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なぜ私が埼玉西武ライオンズファンになったのか
はっきり言ってわかりません。
というか明確にこれが理由というものがありません。
色々な要素が重なって小学3年生(当時9歳)の時にファンになりました。
一応、ファンになったきっかけ候補を下記にあげます。
- ライオンが好きだったから
- 当時強かったから
- 足の速い選手が多くてカッコ良いと思ったから
- 某有名漫画の主人公が漫画内で所属していたから
- 青色が好きだったから
とまぁ、なんとも小学生らしい理由というか。。。
そう、そうなんです。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、選手や試合、球場での思い出ではなく、なんとなく好きになったのです。
当時私は地元の少年ソフトボールクラブに入ったばかりで、特に野球に興味があったわけではなかったので、正直選手のことをほとんど知らなかったです。
また、私の実家は九州なのでホークスファンはかなりいましたが、ライオンズファンはほとんどいませんでした。
なので、あまりライオンズの情報を得る機会がありませんでした。
ただ、自分がソフトボールを通じて野球を好きになっていくうちに、次第にプロ野球とライオンズの選手に興味をもつようになりました。
ちなみに私がファンになった年(98年)にライオンズは横浜ベイスターズ(当時)に日本シリーズで破れ、私は大泣きしたのを覚えています。
もしかしたらその時負けたことが、かえってファン心理を燃え上がらせた(応援したい、悔しいのような)のかもしれないと今になっては思います。
1998~2016年までの西武の思い出と好きな選手
年度 | 私の年齢(学年) | 西武の出来事 | 思い出 | 好きな選手 |
98 | 小三 | 日シリで横浜に敗戦 | ファンになる | 松井稼頭央 |
99 | 小四 | 松坂入団 | 松坂選手に憧れる | 松井稼頭央 |
00 | 小五 | ダイエーに競り負け | ホークスをライバル視 | 松井稼頭央 |
01 | 小六 | 松坂沢村賞 | カブレラの衝撃 | 松井稼頭央 |
02 | 中一 | 日シリで巨人に敗戦 | 松井選手のT3に感動 | 松井稼頭央 |
03 | 中二 | オフに松井稼頭央メジャーへ | ファンを辞めるか悩む | 豊田清 |
04 | 中三 | 中日を下して日本一 | 初の日本一に歓喜 | 空白 |
05 | 高一 | 勝率5割を切る | ほとんど記憶なし | 空白 |
06 | 高二 | オフに松坂メジャーへ | PSの松坂vs斉藤に感動 | 松坂大輔 |
07 | 高三 | Bクラス落ち | 弱い西武から目を背ける | 空白 |
08 | 大一 | 若獅子で日本一 | 初の日本一に泣く | 片岡易之 |
09 | 大二 | 再度Bクラス転落 | 沢村賞涌井が唯一の救い | 博愛主義時期 |
10 | 大三 | M点灯からのV逸 | まさかの優勝逸に怒り | 博愛主義時期 |
11 | 大四 | 怒涛の追い上げでCS | 秋山の登場に期待感 | 博愛主義時期 |
12 | 社一 | 終盤に失速し優勝逸 | 中島移籍を受け入れる | 博愛主義時期 |
13 | 社二 | 浅村覚醒 | とある西武ファンのブログに心酔 | 浅村栄斗 |
14 | 社三 | オフに涌井・片岡移籍 | 森の才能に惚れる | 森友哉 |
15 | 社四 | 西口引退 | 森の覚醒を期待する | 森友哉 |
16 | 社五 | オフに岸移籍 | 西武ファン熱が枯れる | 森友哉 |
いろいろ書きましたが、思い出を三つに絞ってお話します。
熱狂的な松井稼頭央ファンになる
とにかく松井稼頭央選手がカッコよかったです。
本当に好きでした。
今でも憧れています。
いつまでも私の憧れの選手です。
先日スイッチヒッターの特集でテレビ出演されていました。
若い頃の練習姿勢やスイッチヒッター理論をみて、私が憧れる『松井稼頭央』という選手になるために並々ならぬ努力をされていることを知り、改めて尊敬しました。
もちろん努力されていることは以前からも知っていましたが、先日のテレビで知った若い頃に覚悟を決めたという話は大変感銘を受けました。
その松井選手が退団されたあとは正直あまりライオンズの試合は観ていなかったです。
2004年の日本一や2006年の松坂vs斉藤のプレーオフ等、所々は観ていましたが、あまり熱が入らなかったというのが正直なところです。
2008年のシーズン・シリーズで眠っていたファン魂が復活する
そんな中、私が再びライオンズに強く感心をもつ年がありました。
渡辺新監督のもと、新生ライオンズが若い選手を中心とした本当に面白い野球をして、日本一までたどり着いた2008年です。
その時は久々に熱くなったことを覚えています。
また、その年はわたしが大学生となり上京していたため、西武ドームに行けるようになったのが大きかったです。
それと当時の彼女と野球をよく観に行ったのも良く覚えている理由の1つです。
ちなみに私はあの当時の打線は今でもそらで言えるくらいです。
打順 ポジション 名前
1 セカンド 片岡易之
2 レフト 栗山巧
3 ショート 中島裕之
4 ファースト ブラゼル
5 ライト G.G.佐藤
6 サード 中村剛也
7 DH 石井義人/後藤武敏
8 キャッチャー細川亨
9 センター 赤田将吾/ボカチカ
この年は巨人との日本シリーズが第7戦までもつれ込んだ末に勝ったので本当に印象深かったです。
私は現地で3試合も観戦しました。
岸のカーブ、伏兵平尾の勝負強さ、そして何より片岡選手の伝説の走塁。
勝てば日本一、負ければ終了の第七戦の一点ビハインドの8回表
先頭デッドボール→ガッツポーズ→次打者の一球目に2塁へ盗塁→送りバントで3塁へ進塁→ボテボテの内野ゴロの瞬間にギャンブルスタートで同点のホームイン
これは本当に痺れました。
私が見た野球の走塁の中では一番のものでした。
その後、片岡選手が作った勢いにのって勝ち越し点を奪い、そのまま日本一。
今でもあの時の興奮を忘れません。
ただ、この年を最後に西武は日本一はおろかリーグ優勝から遠ざかっています。
思えば、2000年前半頃までの西武は常勝西武野球を継承しながら規律重視の野球で派手さよりも勝負にこだわっていました。
しかし、黄金時代の選手が少なくなるにつれて粗さが目立つようになりました。
2008年に若い選手たちを中心としたイケイケ野球で優勝したことは良かったのですが、そこから勢いに任せた野球が目立ち、伝統の細かい西武野球は薄れていった様に感じます。
そう考えると、2008年の日本一は後の西武の低迷に大きな影響を与えた年だったのかもしれません。
黄金時代を知る辻監督のもと2017年の新生ライオンズが強いライオンズを取り戻すことに期待しています。
某西武ファンのブログをきっかけに野球への見方・考え方が変わる
私は2013年くらいからとある西武ファンの方のブログを拝見するようになり、野球の見方が変わりました。
その方は野球経験はないとのことでしたが、セイバーメトリクスを中心とした様々な指標に造形が深く、野球の技術・戦術知識も豊富でした。
また、選手の性格や表情から試合の流れを読み、果ては長いペナントレースを勝ち抜くまでのベンチワーク(一・二軍の登録抹消やローテーション、選手ごとの疲労度合いに合わせた休養等)にまで言及されていました。
私は自分が野球素人であることから細かいことまで具に観察することを半ば諦めていました。
しかし、その方のブログを見て、もっと自分も野球を知りたいと思うようになりました。
残念ながら、その方は2016年限りでブログを閉鎖されてしまいました。
その方のブログをいつまでも見たかったなので、とても残念な気持ちでいっぱいです。
いつか私もあの方のような野球ブログを書けたらなと憧れの気持ちを持っています。
※本来ならそのブログを含めてこの記事でご紹介したかったです。
最後に
とまあ、ひとまずこれがなぜ私がファンになったのか、これまでのファン歴についてのお話です。
こんな調子でライオンズや野球、その他のスポーツなどについても書いていきますので、興味がある方はお読みください。
それでは、さようなら!
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