死ぬまで生きる問題

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父親の老い、介護の不安、死の怖さ【2018年4月の介護日記】

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子どもの頃に知っている父親はもういない。

子どもの時の父親といえば、それはそれは偉大で大きな存在だった。

たくましい背中と、問題があればなんでも解決してくれる頼りがい、自分の知らないことはなんでも知っている知識...。

 

”尊敬”という言葉を覚えてからの言葉よりも、”ヒーロー”という物心つく前に漠然と理解していた童心に近い言葉が適当なくらい、幼い自分にとっては無敵の存在。

 

しかし、そんな父はいつしかその頃の父親ではなくなっていた。

偏屈、頑固、偏った思想、何度言っても改善しない悪クセ...。

 

母の言葉を借りるなら、「人が変わってしまったのか、年老いて元々隠していた人間としての負の一面が表面化しただけなのか」。

 

父親へのネガティブな感情をネット上のブログという媒体に掲載することに対して、批判的な声もあるかもしれない。

が、ブログ本来の意味”ウェブログ(WebにLogする)”に立ち返るなら、29歳の日に感じた父親への思いをしたためる(認める)ことは悪いことではないはずだ。

 

父が、もちろん自分もこの先どうなるかなどわからないが、10、20年後にこの記事を見返した時に、「そんなことも考えていたな」と思い返すために、日記を書いてみることにした。

目次

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父親の変化と老い

子どもの頃の父を一言で例えるなら、”優しい”。

幸いなことに暴力を受けたことは一度もなく、欲しいと思うものは大抵のものは買ってくれた(高価なものという意味ではない)。

どちらかという母親の方が厳しく、父親が影で「お母さんには内緒だよ」と言って、色々買ってくれるような父だった。

 

強制的に何かをさせるということはなく、常に私が何かをする意思を決めるまでは、悠然と構えていてくれる器量の大きさがあった。

 

子どもの頃はあまり意識しなかったが、大人になって友人知人の父親と比べると、相当優しかったことを理解したものだ。

 

ところが、父は60歳以降、特に定年してから徐々に私の知る父ではなくなっていった。

人の話には聞く耳は持たず、自分の考えが絶対。

仮に自分の考えが間違っていることに気づいても、屁理屈や言い訳をして頑なに主張を変えない。

また、少しでも言い過ぎると、へそを曲げて平気で数ヶ月は家族と口をきかなくなる。

 

一気に変わったというよりは、徐々に、知らず知らずのうちに、偏屈な老人に変化していった。

そんな父の変化を敏感に察知していたのは、ほかならぬ母親。

「お父さんがおかしか」、「認知症が始まりよっとかもしれん」。

 

母が投手そんなことを言い出した時、私は一笑に付した。

「そんなわけないよ」と。

 

しかし、今思えば母の感覚は正しく、60歳を境に変調をきたし始めていたのかもしれない。

具体的な名前や事件名を言うことはできないが、ニュースで事件が起きた時に、ぞっとするような思想を覗かせる時がある。

 

この人は人の不幸をニヤニヤ笑うのか、自分が嫌う某政治家が失脚するためなら、人の命がどうなっても喜べるのか。

自分の思想や感覚がどこまで中立寄りなのかなど、自分では客観的に判断できないが、少なくとも私には父が”狂っている”ようにしか見えなくなっていた。

 

子どもの頃は押し付けなどしなかったが、最近は押しつけが激しい。

思えば学生の時に、「はやく結婚して孫を見せろ。お前と奥さんが忙しかなら、お前は東京で働いて、孫だけ実家の長崎でおいが育てるけん」と真顔で言われた時は、ビックリした。

 

「この人は他人の幸せより、自分が幸せならそれでいいんだな」と、その辺から私は感じるようになっていった。

仕事、結婚、子育て、生き方。

 

私の考えに全て賛同する必要はなく、反対意見があっていいものだとも思ってる。

ただ一つ私が言いたいのは、少なくとも私が何を考え、何を理想とし、どう生きたいと考えているかを知って欲しい。

最低でも知って欲しい。

 

最近の父には”対話”ということが難しくなっており、人の話を聞きながらことばを紡ぐことができなくなっている。

いわゆるキャッチボールが成立しない。

 

話始める前から話すことが決まっており、途中に何を言われても頑なに言うことは変えない。

逆にこちらから話かけても、とんちんかんな回答しか返ってこない。

 

実は65歳ぐらいで人間ドックを受けた際、脳海馬の萎縮と言語障害の疑いが見られた。

父が悪いのではなく、父の中身が変わってしまったことが、父を幼き日の父ではなくしてしまったのかもしれない。

脳梗塞で倒れた父

そんな父が、2017年の9月末に突如病院に入院した。

原因は脳梗塞。

幸い命に別状はなく、後遺症はないが、「来るべき時が来たか」と、身構えた自分がいた。

 

病室で見た父はやせ細って、表情からは生気はなく、呆けたような表情。

ここ数年みせていた人を寄せ付けない雰囲気はなくなり、どこか穏やかな雰囲気も感じさせた。

 

そんな父を見た母親の感想は意外にもポジティブ。

「昔のお父さんを見とるごたん、優しいお父さんだった」と。

 

言われてみれば、老人特有の偏屈さや攻撃性はどこへやら、私が子どもの頃に見ていた優しい父の人柄がそこにはあった。

 

病に倒れた父への大きな不安と悲しみがある一方で、昔に戻ってくれた多少の安堵が私と母の間には広がっていた。

介護の不安

ただ、そんなささやかな喜びは長くは続かなかった。

倒れてから10日間ほどして退院したのだが、退院後まもなくはおとなしくしていたものの、1ヶ月もすれば元の父に戻っていった。

 

医師と栄養士の指導のもと、母が体調に気を使った料理をしていたのに飽きて、すぐに隠れたお菓子や外食をこっそりするように。

最初は母親も必死に説得したが、そんなアドバイスをきく父ではない。

 

あろうことか、私と母に対して「あんたたちばっかい、よかとば食べてよかね」と言い出した。

「誰々の方が卵焼きが多かった」、「おかずが一品多い」。

 

1ヶ月もしないうちに、私と母は疲れと諦めがきた。

もし介護をするとなると、こんなやり取りが何年も続くのかと想像すると、ぞっとした。

 

偽らざる感情を言うなら、ここに入浴やシモの世話、散歩、寝起きの手伝いなど、もっとやることは増える。

 

「介護は親への感謝として当然だ!」、「お前が想像している以上の負担がある!」などとおしかりを受けそうだが、単純に介護への不安が私の頭にはもたげた。

 

時間的、肉体的な介護の負担はもちろん、こんな偏屈な父を介護するのかという精神的な負担を想像すると、正直言って気はかなり重い。

 

「これは早めに介護を念頭に置いた暮らし方にシフトしなければ」と。

介護を意識した暮らしにシフトする難しさ

そんなこんなで意識せざるを得ない介護。

理想を言えば生前生理を済ませて、介護に便利な街に移住して、介護施設を完備した家に移るのが、私にとっての理想である。

 

正直今の家(マイホーム)はバリアフリーな要素はほとんどなく、仮に住み続けるならリフォームの必要がある。

そしてもしリフォームして家自体が介護に適したとして、周辺環境は介護に理想的とは言えない。

 

いわゆる車がなければ暮らせない地方の郊外に家があり、スーパーやコンビニ、病院は車で15分以上離れたところにある。

老人の自動車事故が急増する昨今、正直父親にはもう運転して欲しくないし、母親も運転できるのはあと数年もないだろう。

 

私とて今は実家暮らしだが、いつまで家にいるのかもわからない。

もし私がいなくなることを考えても、仮に私が実家にいたとしても、徒歩圏内で暮らせる家に引っ越すのが妥当だと私は考える。

 

ただ、そこには様々な障害もある。

私が生まれた時に引越してきた、マイホームから引っ越すという選択肢は、両親にとってなかなか簡単な選択ではない。

 

様々な想いが詰まった家と土地に対して、そう安安と手放す選択はできないだろう。

ましてや私が引越しを強く主張することはできない。

 

ただ、現実的に考えた時、私の一家はそう遠くない未来に向けて動き出す時期に来ていることは間違い。

 

東京で暮らす姉を含めた家族4人全員が納得する選択は、もしかしたらないのかもしれない。

しかし、それでも答えを見つけようとする姿勢は忘れてはいけないことだ。

 

私の家族はそれぞれがそれぞれの答えを内に秘めながらも、それを家族に向かって口に出さないところがある。

それは時に良い方向に転び、時に悪い方向にも転ぶ。

 

少なくとも、今介護を考える上では、悪い方向に向かうだろう。

 

両親がまだしっかりしているうちに、全員の”納得解”を導き出して、共通認識にしなければ、そう遠くない将来に暗い未来が待っている気がしてならない。

親が死ぬことの怖さ

はっきり言って、親の死は怖い。

できるなら避けて通りたい。

ただ、そうも言ってられない。

 

親の死に向き合わなければならない時期にきている。

 

最近私が親孝行を考える上で、一つ指針にしていることがある。

それは、「届かなくなる前にやれることはやる」ということだ。

もしも親孝行を、と考えているなら、認知症を発症する前にすべきだ。

認知症になってしまってからは、生活を支えることこそが親孝行となり、それ以上の楽しいこと、うれしいことを仕組んでも、本人に届くとは限らない。

逆に悲しい結果となることもある。

引用:『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』

 

2018年の厚労省の発表によれば、日本人の健康寿命は男性72.14歳、女性74.79歳。

厚生労働省は9日、健康上の問題がなく、日常生活が制限されることなく送れる期間を示す「健康寿命」について、2016年は男性72.14歳、女性74.79歳だったと発表した。

引用:男性72.14歳、女性74.79歳=2016年「健康寿命」-厚労省発表:時事ドットコム

 

この数字に単純に当てはめるなら、父はあと4年、母はあと10年で届かなくなる可能性がある。

残された時間の短さを肝に銘じて、両親が少しでも楽しい人生だったといえるよう、何かを届けたい。

 

それが、少しでも死への恐怖を緩和する方法なのかもしれない。

まとめ

この先どうなるかなどは誰にもわからない。

ただ、行動しないことには、何も変わらない。

 

”死ぬまで生きる問題”に向き合って、家族の最適解を探っていく。

 

Death takes what man would keep and leaves what man would lose.

~人はいつだっていろいろなものにさよならを言わなければならない~


引用:最後のユニコーン ピーター・ビーグル著


それでは、さようなら!

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