死ぬまで生きる問題

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平成元年生まれが見てきた平成プロ野球

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f:id:jubenonz:20171103222322p:plainどうも、はろーぐっばい(@jubenonz)です。

 

本日は、平成元年生まれが見てきた平成プロ野球についてお話します。

目次

私がプロ野球を見始めた1998年

私が野球を観始め1998年の野球界は神奈川フィーバーの年でした。

 

高校野球では横浜高校の松坂大輔投手が甲子園春夏連覇。

プロ野球では横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)が38年ぶりの日本一。

巨人のスーパールーキー高橋由伸は神奈川の名門桐蔭学園で甲子園に出場したスーパースター。

 

ちなみに、サッカー界では合併消滅が決定していた横浜フリューゲルスが奇跡の天皇杯優勝を果たしました。

 

1998年から野球を観始めた私にとって、横浜ベイスターズは強豪球団。

それ以前の長い低迷やその後の暗黒時代など、知る由もありませんでした。

 

そんな神奈川フィーバーの年に、日本シリーズで横浜ベイスターズに敗れたのが西武ライオンズ。

何を隠そう今も続く私のご贔屓のチームです。

 

この1998年は私が好きだった松井稼頭央選手がリーグMVPを受賞。

そして、シーズンオフには日本中が進路を気にした横浜高校の松坂大輔投手がドラフト会議で抽選の末、西武入り。

私のライオンズファン熱は一気に加速していきました。

巨人人気頼りだった20世紀

今の小中学生には想像もできないでしょうが、私が子供の頃は巨人戦を全試合テレビ中継。

当たり前のように毎年巨人戦の平均視聴率20%を超えていました。

そのため、巨人の選手はまさに全国区の知名度。

松井秀喜、清原和博といった今でも知名度のあるスター選手を筆頭に、仁志敏久、清水隆行、高橋由伸、元木大介、桑田真澄、槙原寛己といった錚々たる顔ぶれが名を連ねていました。

毎年オロナミンCのCMには巨人の選手が起用されていたのも懐かしい記憶。 

 

当時の監督であるミスタープロ野球こと長嶋茂雄監督の存在もあり、野球界が最も栄えていた時期でもありました。

 

人気全盛期の巨人とは対照的に、他のセリーグ5球団やパリーグ6球団の人気は低迷。

今でこそ熱狂的な甲子園の阪神ファン、広島の広島ファン、福岡のホークスファンですが、当時はそこまでではありませんでした。

特にセ・リーグ球団は巨人戦の放映権を頼りにしていたこともあり、特にファンサービスに力を入れるなどの施策は皆無。

良くも悪くも巨人頼みだったのが20世紀のプロ野球界でした。 

地方都市球団の人気化によって流れが変わり出したプロ野球

タイガースは平成に入ってから長らく低迷。

カープ、ホークスも万年Bクラスが続いており、球場では閑古鳥が鳴くことが多かったです。

ただ、いずれのチームも戦力の強化、地域密着、ファンサービスに力を入れて毎試合ファンが球場に詰めかけるようになっていきました。

 

ホークスは1999年のリーグ優勝、タイガースは星野改革による2003年の阪神フィーバー、広島も2010年代以降はより地域に根差した取り組みと2016年の優勝。

 

かつての中日ドラゴンズを率いた落合博満氏の「勝つことが最大のファンサービス」という言葉はその通りだと思います。

やはり勝たないとことには大きくファンを獲得することも、熱狂させることもできません。

 

かつて閑古鳥が鳴いていた平成初期~中期の野球場を観ていた私はそう思わされざるを得ません。

21世紀はパ・リーグの時代 

特に私が野球を観始め頃のパリーグは本当に人気がなかったのでつくづく思わされます。

野球中継などはほとんどなく、オールスターでもセリーグに圧倒され、「人気のセ、実力のパ」どころか「人気もセ、実力もパ」状態でした。

 

1997年の第二戦から2000年の第三戦まで引き分けを挟んで8連敗。

2005年から2007年の3年間全敗で6連敗。

 

日本シリーズでも1997~2002年にかけての6年間で5度もセリーグ球団が日本一に輝いており、まさにパリーグ受難の時期でもありました。

 

巨人ファンの友人から「パリーグファンになるやつの気持ちがわからない」と言われ、て腸が煮えくり返りそうになったのを今でも覚えています。

 

そんなパリーグ不人気を救ってくれたのが、新庄剛志選手。

セリーグの人気球団阪神出身の元メジャーリーガーが日本復帰の新天地に選んだのはパリーグの北海道日本ハムファイターズ。

 

2004年シーズンから北海道への本拠地移転が決まっていた球団の目玉選手として電撃移籍。

「あの新庄がパリーグに!?」という衝撃が野球界に走りました。

入団会見では「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」と目標を掲げました。

 

正直その後その目標を複数回、複数年に渡って実現するとは思っていませんでした...。

 

宣言通り新庄選手はチーム改革。

かぶりものパフォーマンスなどを実施し、積極的にファンサービスに務めました。

 

長年苦杯をなめさせられていたオールスター戦ではホームスチールを決めてMVP受賞。

ヒーローインタビューで「これからは、パ・リーグです」と高らかに宣言しました。

新庄選手が復帰した年のオールスターでパリーグは2戦全勝。

日本シリーズでも西武ライオンズが日本一に輝き、徐々にパリーグは低迷を脱出。

 

新庄選手に引っ張られるように、日本ハムファイターズも徐々に力をつけていきました。

2001~2003年まで6→5→5と下位が続いていましたが、新庄選手が加入した2004年にリーグ3位。

ロッテとの激しいプレーオフ争いを制して、シーズン終盤までペナントを盛り上げました。

 

2006年には新庄選手の引退宣言から一気に調子を上げて25年ぶりのリーグ優勝。

そのまま日本シリーズも制して、一気に日本一に駆け上がりました。

 

北海道日本ハムファイターズは2006~2016年の11年間で5度のリーグ優勝と2度の日本一。

新庄選手引退後もダルビッシュ有、中田翔、大谷翔平らの球界を代表するスター選手を輩出し、一躍人気球団の仲間入りを果たしました。

 

21世紀に入って以降のパリーグは先に触れたダルビッシュ有投手以外にも、和田毅、杉内俊哉、松坂大輔、涌井秀章、岩隈久志、田中将大、金子千尋らの歴史に名を残すエース投手たちが生まれていきました。

その多くの投手が海を渡りメジャーでも活躍。

パ・リーグの実力がオールスターや日本シリーズ、交流戦だけではなく、世界にも通じることを証明して見せたのです。

 

野球中継のネット配信サービスが発達していったこともあり、パリーグの選手も段々日の目を浴びる機会が増えていきました。

 

人気と実力と技術革新が合わさったことで、パリーグはセリーグに負けない存在になっていったのです。

終身雇用の時代は終わりを告げた

同時にこの頃から一流選手はFAを取得して巨人に移籍する時代から、ポスティングを含めて全盛期にメジャーに挑戦するのが主流になりました。

その流れが出来たことが、後に巨人の低迷を招く結果にもなったのです。

 

思えば松井秀喜氏の巨人退団&メジャー移籍は、終身雇用の時代の終わりを予感させられるものでもありました。

川上哲治、長嶋茂雄、王貞治など、昭和の日本人にとって巨人のスターとして生涯巨人で活躍し、将来監督になることは人生最高のゴール。

 

それはまるで一つの大企業に勤めて、将来は役員として終生お世話になる日本のサラリーマンのよう。

ところが松井秀喜氏は生涯巨人&監督の座を蹴る形でアメリカメジャーリーグへの移籍を決断。

 

昭和の野球人や日本人にとって最高の栄誉が、もはや最高ではなくなっていたことを示していたのです。

 

お世話になった球団に感謝しながらも、自分の夢も追う。

全員が全員とは言いませんが、今の平成っ子にとって一つの球団で優勝し続けることは大したモチベーションにはならないでしょう。

仮にV9のように一つの球団で勝ち続けることは選手にとってもファンにとっても、楽しいことではありません。

 

選手は別のやりがいを、ファンは別の楽しみを見出してしまうでしょう。

批判を恐れずに言えば、安定を求める昭和時代の選手とファンだったからこそV9という偉業は生まれたのではないでしょうか。

 

と、平成生まれの私は思ってしまいます。

球界再編問題によって生まれ変わったプロ野球

ただ、パリーグが盛り上がった最大の要因は野球界を改革した新庄選手の存在なくしては語れません。

新庄選手が加入した2004年は球界再編問題で古田敦也選手が奮闘した年でもありました。

 

2004年に新庄選手が日本に復帰していなかったら、古田選手が1リーグ制に反対していなかったら、今日のプロ野球界はなかったでしょう。

 

当時は巨人も長嶋茂雄監督勇退、堀内巨人の低迷などで、視聴率が低迷し、球場にも空席が目立つようになっていました。

巨人人気に陰りが出てきたことが、結果的にプロ野球全体に危機感を抱くきっかけとなりました。

 

結果的に球界再編問題で近鉄球団が消滅したことで、選手も球団もファンも「いつまでも あると思うな プロ野球」を実感させられたのです。

そのことがあって、今までは野球ファンに対して「来るなら来れば」の姿勢だった球団と選手が「いかにお客様に来てもらうか」を真剣に考えるようになりました。

交流戦の導入や各球団ごとの独自サービスなど、脱巨人とファンに寄り添ったファンサービスを実践するようになったのです。

 

近鉄球団が消滅したことは悲しい出来事でしたが、プロ野球全体のことを考えた時、2004年という年は非常に大きな年となりました。

プレーオフが生み出した是非

ちなみに、2004年はパリーグがプレーオフを導入した年でもありました。

千葉ロッテと日本ハムファイターズの激しい3位争い、西武ライオンズのリーグ2位からの日本一。

 

今なお賛否両論あるプレーオフですが、パリーグの試合があんなにも注目されるなんてことは平成初期には滅多にありませんでした。

また、”消化試合”がなくなることがいかに大切なことか。

プレーオフ制度を批判している人は、かつてシーズン終盤に両リーグの球場で閑古鳥が鳴いていたことを知らない人たちです。

 

広島にしても、DeNAにしても「まずはプレーオフに入れれば」と明確な中期目標があったからこそ、後に日本シリーズに進出できるだけのチーム力がついたと言えます。

あれが、一昔前のように優勝以外は意味がない状態が続いていれば、永らくの低迷を容易に脱出出来たとは思えません。

 

もちろんドラフト制度の逆指名・希望枠の撤廃はチーム強化に大きな影響を与えたことは間違いありません。

ただ、プレーオフがあったことが当時下位が続いていたチームにとってどれだけありがい目標になったことかは忘れてはいけません。

 

制度の改革の余地はあっても、廃止論に関してはいささか暴論だと私は思います。

国際化と多様化 そして迫り来る人口減少問題

相続く大物選手のメジャー挑戦。

メジャーリーグにならって導入したプレーオフ制度。

 

平成プロ野球には良くも悪く国際化の波が押し寄せています。

画一的だった球場はボールパークに進化しつつあり、国際試合はアマチュアのものだったものからプロが母国の誇りをかけて戦うものになりました。

 

メジャーリーグの影響を受けて、進化したデータ野球「セイバーメトリクス」が導入され、WBCを意識してプロ野球に統一球を導入、高校野球にタイブレーク対策が用いられるようになりました。

 

いずれも国際化の波が来ていなければ、起き得なかった改革です。

これらの現象は日本野球が日本国だけで独自の進化を遂げるガラパゴス化が起きえないことを示唆しています。

同時に国際化が必要不可欠になりつつあるとも言えます。

 

人口減少が進む日本。

今後も日本プロ野球を活性化させるなら更なる国際化は必要不可欠。

後の世でも野球を隆盛させるには、日本国内だけにとどまらない国際感覚が必要です。

 

幸いグローバルカンパニーを目指すソフトバンクや楽天を親会社に持つ球団が存在する日本プロ野球。

一部の球団だけが潤えば良かった時代から、野球界全体でいかに発展するかを目指す共闘の時代へ。

 

今後も日本プロ野球が良きものであるには、球界全体で一致団結する必要があるでしょう。

まとめ

かなり駆け足で振り返ってきた平成プロ野球。

言いたいことがありすぎてなんだかまとまりにかけてしまいました。

なんだか急に懐古したくなったので、自分の思い出を書きなぐってみた次第です。

 

平成プロ野球とはなんだったのか。

 

約30年という年月は一つのコンテンツを良くも悪くも大きく変えるには十分な時間だったと思います。

 

人それぞれ感じ方は様々。

皆さんも一度振り返ってみてはいかがでしょうか。


それでは、さようなら!

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