死ぬまで生きる問題

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引退危機!? 不調が続く現役西武OB選手7名の今を追ってみた 松坂、松井、片岡...

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12球団で最もFAで選手が流出した球団。

裏を返せば、他球団が欲しいと思う選手を多く輩出してきた球団でもある埼玉西武ライオンズ。

 選手流出に慣れていない金満球団にはわからないかもしれないが、球団の顔とも言える選手が流出していくのはいつだって辛い。

 

特に移籍初年度は中々消化しきれずにいることが多い。

もし、あの選手がいたら違った結果になっていただろうとついつい頭によぎってしまうファンは多いだろう。

 

元々西武ライオンズは選手流出が多い球団。

黄金時代と言われた常勝西武時代のメンバーで、西武で引退したのは伊東勤、潮崎哲也選手くらい。

黄金時代以降の選手でも西武のまま引退したのは石井貴、西口文也、高木浩之など数える程度しかいない。

 

松井稼頭央、小関竜也、大友進、鈴木健、アレックス・カブレラ、和田一浩、松坂大輔、豊田清など主力のほとんどが他球団に移籍してユニフォームを脱いでる。

 

移籍した選手は過去の人として、全く気にも止めないファンの方もいるだろうが、私はどうしても気になってしまうタイプだ。

 

それはあれだけ熱狂的に応援した、素晴らしいプレーを見せてくれたスタープレイヤーたちを忘れることは出来ないからだ。

 

2017年の6月時点で、西武OBの現役選手は苦境に立たされている選手が多い。

全盛期とは程遠い成績の選手もいれば、中には故障の影響でほとんど試合に出られていない選手もいる。

 

しかし、私は彼らがいくつになっても、どんな状況でも応援したい気持ちは消えない。

そこで今日は現役西武OB選手の今を追いながら、それぞれの選手への私の想いを書き連ねていく。

史上最高の遊撃手&スイッチヒッター 松井稼頭央

盗塁王3回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞4回、MVP1回、トリプルスリー1回。

西武在籍10年間で数々の偉業を成し遂げてきた5ルーツ揃ったスーパースター。

他の追随を許さない日本人史上最強の遊撃手。

 

私が西武ファンになるきっかけとなった選手で、全てのスポーツ選手の中で最も好きな選手だ。

 

2004年にFAでメジャーに挑戦。

メジャー移籍前の期待ほどの成績を残せず、メッツ、ロッキーズ、アストロズ、ロッキーズと複数の球団を渡り歩くことに。

 

2011年から日本に復帰。

球団は古巣西武ライオンズではなく、東北楽天ゴールデンイーグルス。

 

その時のライオンズの内野手には中島裕之、片岡易之、中村剛也と若く力のある主力選手がいたため、松井選手に西武から声がかかることはなかった。

 

そういった背景があるため、松井選手を嫌っている西武ファンは皆無に等しい。

何より松井選手の人格が敵を作らないタイプなため、西武ファンには未だに好意的に見ている人の方が多い。

 

日本復帰後は本職の遊撃手を長らく務めた。

2013年の楽天球団初の日本一に大きく貢献。

 

しかし、2014年シーズン後半に自らの意志で外野手にコンバート。

西武時代の姿を知るものには意外過ぎるコンバートだった。

39歳のシーズンに本格的に外野に転向して、軽快な守備を見せて、かつ14盗塁(失敗わずか2)。

広い球場が多いパリーグにおいてベテランが外野守備を行うのは非常に負担が大きいことだが、それをものともせず普通に外野守備をこなしているのをみて、改めて身体能力の高さとセンスに驚かされた。

 

そんな松井稼頭央選手も今年41歳。

いつ引退してもおかしくない年齢と立場にある。

開幕から一度も2軍落ちすることなく1軍登録されているが、打線好調な楽天にあっては中々出番がまわってこない。

 

【2017年の成績】

・13試合

・打率.278

・本塁打1

・盗塁0

 

しかし、それでも出場した試合ではまずまずの結果を残しており、4月22日のソフトバンク戦でNPB通算200本塁打を達成。

これはNPB史上100人目の達成で、スイッチヒッターとして2000本安打と200本塁打の達成はNPB史上初の快挙。

 

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未だに脚力は衰えておらず、代走で出場するケースもある。

 

現在日米通算安打数は2688。

厳しいかもしれないが、3000本安打を達成して欲しい。

 

私は松井稼頭央選手の引退試合には必ず行くと決めている。

しかし、その時がくるのはまだまだ先であって欲しい。

 

衰えぬ子供の頃からのスーパースターの活躍をまだまだこの目で見ていたい。  

平成の怪物、日本のエース 松坂大輔

野手のスーパースターが松井稼頭央選手なら、投手のスーパースターは当然松坂大輔選手。

私が野球を見始めた1998年に甲子園春夏連覇を達成。

その年にドラフト1位で西武に入団。 

私に野球の素晴らしさと面白さを教えてくれた存在だ。 

 

鳴り物入りで入団した平成の怪物はその名にふさわしい活躍を見せた。

入団から8年間のうち、2002年以外は常にエースとして堂々たる成績を残した。

数ある試合で私が一番印象に残っているのは2006年のプレーオフでソフトバンクのエース斉藤和巳投手と投げ合った試合。

 

当時の球界最高峰のエース同士の投手戦を松坂投手は1-0で勝利。

試合終了後、全精力を注ぎ込んだ影響かベンチで放心状態だった姿を今でも鮮明に覚えている。

 

ここという時には必ずやってくれる男。

 

それが松坂大輔投手だった。

 

2006年オフにメジャー挑戦を表明。 

ポスティング制度を利用して移籍した際、レッドソックスは西武に60億円を支払った。

それを利用して、翌年西武は今も球場の名物としてそびえ立つLビジョンを設立。

 

自分の功績で巨大な建築物を建てるとは男冥利に尽きるだろう。

 

メジャー移籍後はワールドシリーズ制覇に貢献するなど順調なスタートを切った。

しかし、股関節、右ひじ、右肩の故障の影響から本来の姿を失っていった。

 

2014年オフに日本球界復帰が決まった際、松坂本人は西武への復帰を希望したが、西武からはオファーがなく、福岡ソフトバンクホークスに移籍することになった。

 

日本復帰後3年間で登板はわずか1。

それも、リリーフでの1イニングのみの登板となった。

 

もうかつてのような輝きを取り戻せないのか。

誰もが落胆するような結果に終わってしまった。

 

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【2017年の成績】

・登板0

 

2017年はここまで登板0。

右肩痛を訴えており、一軍復帰のめどは立っていない。

契約最終年の今シーズン中に結果を残せなければ、現役引退もあり得る。

 

現在日米通算164勝。

日米通算200勝まではあと36勝が必要になる。

 

西武にドラフト指名された際、当時の監督であった東尾修氏からもらった200勝記念ボールをもらった松坂投手。

自分が200勝したら、お返しに松坂投手の200勝記念ボールをプレゼントすると約束しているそうだ。

 

現時点ではその可能性は極めて難しい状況にある。

 それでも、かつて数々の不可能を可能にしてきた男ならと期待するファンは多い。

 

松坂世代の盟友、元近鉄・オリックス・横浜で活躍した大西宏明氏もその一人。

ヒーローは必ず最後に勝つ。だからまた松坂が復活すると信じていると語っていた。

 

今年37歳。

崖っぷちに立たされたヒーローの逆襲に期待したい。

ノムさんが認めた”捕手らしい捕手” 細川亨

2008年を最後に優勝から遠ざかっているライオンズ。

その2008年に正捕手としてチームをささえたのが細川選手だ。

 

意外性のある打撃、強肩、打者の弱点を突くリード。

私は野球素人なので、捕手の配球に関しては全くわからないが、細川捕手の存在が打者にとって厄介な存在であろうことは想像がつく。

 

谷繁元信、里崎智也、そしてこの細川選手。

私が今まで見てきた中で打者の弱点を突く配球をさせたらこの3人がトップクラスだ。

 

あの野村克也氏に”捕手らしい捕手”として常に高い評価を受けていることからも細川選手のキャッチャーとしての力量が極めて高いことが伺える。

 

その細川選手は2010年オフにFA権を行使して福岡ソフトバンクホークスへ移籍。

移籍後は三度の日本一に貢献。

また細川選手移籍以降西武はソフトバンク戦を滅法苦手としており、痛い人材流出となった。

 

細川選手が移籍する要因の一つとなった西武の炭谷選手編重起用。

その炭谷選手に差を見せつけるように細川選手は捕手としてソフトバンクの優勝に貢献。

 

細川選手移籍後、優勝から遠ざかっている西武。

炭谷を選んで間違いがなかったと声を大にして言いたい西武ファンは多いだろう。

 

それだけ細川選手は西武にとって憎き厄介な相手だったのだ。

 

その細川選手は2016年オフにソフトバンクからのバッテリーコーチ就任の打診を断り、自由契約に。

故郷東北に本拠地を構える楽天へ移籍することになった。

 

【2017年の成績】

・2試合

・打率.000

・スタメン出場0

 

正捕手に嶋基宏選手がいるため控え捕手として開幕から1軍入り。

しかし、4月後半に左ふくらはぎ痛で登録抹消。

復帰のめどはたっていない。

 

このままいけば現役引退の可能性もある。

 

細川選手移籍後に絶好調で首位を走る楽天。

奇しくも西武にとってはまたも倒すべき相手に細川選手がいる状況になっている。

 

細川選手が引退する前に、細川選手を倒してリーグ優勝を!と望む西武ファンは多いだろう。

 

捕手は30後半から味が出てくると言われる。

いるだけで打者が意識してしまうほどの存在感がある捕手らしい捕手の集大成がどんな結末になるのか。

 

優勝をかけた大一番でかつての古巣西武、ソフトバンク相手に狡猾なリードをする姿を見てみたい。

もちろん、西武にそれを打ち負かして欲しい。

西武最後の日本シリーズMVP 岸孝之

2008年の日本シリーズで快刀乱麻を断つピッチングで西武を日本一に導いた岸孝之投手。

その後は安定した働きで西武のエースとして活躍した。

西武ファンの誰もが岸は最後まで西武にいてくれると信じてやまなかった。

 

しかし、2016年オフに岸投手はFA権を行使して東北楽天イーグルスに移籍。

 

現在西武ファンから最もヘイトを集める選手になってしまった。

 

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 涌井選手が移籍した時も、細川選手が移籍した時も当初はブーイングされた。

しかし、時が経つにつれてそのブーイングは収まっていった。

恐らく岸投手へのブーイングや因縁も時が解決してくれるだろう。

 

移籍後の岸投手との対戦成績は2戦2敗

ここまで完全に抑え込まれている。

またシーズン全体を見ても、抜群の安定感を見せている。

 

【2017年の成績】

・7登板

・4勝1敗

・防御率2.45

 

もしライオンズがこの先優勝争いをするなら避けては通れない相手だ。

ブーイングではなく、試合で相手を倒したい。

 

倒すべきライバル球団の好敵手岸投手に一矢報いれば、西武に大きな流れが生まれるだろう。

 

シーズン終盤の大一番で岸投手にリベンジして、岸ロスショックを払拭といきたいところだ。

クールな見た目と裏腹な内に秘めた闘争心 涌井秀章

捕手らしい捕手が細川選手なら、エースらしいエースはこの涌井投手だ。

 

横浜高校、西武のエース&背番号18。

常に松坂投手の背中を追い続けてきた男は松坂2世ではなく、涌井秀章として球界のトップへと成長した。

 

最多勝利3回、沢村賞1回、ゴールデングラブ賞4回、クライマックスシリーズMVP1回。

 

先輩松坂投手と同様、ここという大一番で結果を残すタイプの選手。

 

あの滅多に人をほめない落合博満氏が『ポーカーフェイスでマウンドに立ち、1人で投げきった。ストライクをボールと判定されても顔には出さず、自分の中にしまい込んでいた。最近は喜怒哀楽を表に出す選手が多い。その中で、まだこういう選手がいたのかと、ちょっと嬉しかった』と認めるほどの投手だ。

 

この落合氏のコメントの通り、涌井投手はマウンド上ではかなりクールな存在。

インタビューの受け答えでも、ポーカーフェイスを崩さない。

 

しかし、ライオンズファンは知っている。

涌井投手が熱い闘志を胸に秘めていることを。

 

石井貴投手の引退試合、赤田選手のトレードが決まったとき、クライマックスシリーズで杉内投手と投げ合ったとき。

涌井選手は要所要所で人目をはばからず涙を流している。

 

先輩に好かれる可愛い後輩としての一面、後輩にしたわれるよき兄貴分としての一面。

 

多くのチームメイトから愛される存在になれる背景には熱い想いがあるからだ。

 

中継ぎのことを負担を少しでも軽減するために完投にこだわる。

西武最終年で見せた執念の10試合連続登板。

ロッテ移籍後は若い捕手の育成役にもなっている。

 

エースの自覚も芽生えた。正捕手の育成だ。
イニング間にはベンチで配球をやりとり。
7回2死走者なしの場面では0ボール2ストライクから田村のリード通り直球を投じ中前打された。
「調子に乗っちゃいました」とマウンドに謝りに来た3年目の捕手に「おお」とだけ応じた。
田村は「ワクさんは(打たれると)分かっていたんだと思います」と証言した。
痛みで教えることもある。

引用:ロッテ涌井 2年ぶり完投授業 3年目・田村を“逆リード”― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

これらのことに共通しているのは”チームのための行動”

 

誰よりもチームのことを考え、誰よりもチームのために熱くなれる男。

それが涌井秀章という選手なのだ。

 

涌井投手は2013年オフにFA権を行使して千葉ロッテマリーンズに移籍。

先発投手へのこだわり、地元千葉、若手の頃に自分を使ってくれた伊東勤監督の存在もあり、移籍することになった。

 

年俸調停、女性問題、起用方針、自身の成績不振など様々な要因が絡んで移籍したため、一部の西武ファンの中には快く思わない人もいる。

 

そのため、涌井投手が西武ドームのマウンドに上がった際、ブーイングをするファンもいた。

 

移籍して既に4年目。

すっかりロッテのエースとなった涌井選手。

今はブーイングをするファンもほとんどいなくなった。

 

そんな涌井投手だが、2017年は本来の調子を取り戻せずにいる。

 

【2017年の成績】

・10登板

・1勝4敗

・防御率4.26

 

チームも最下位に低迷しており、責任感が人一倍強い涌井選手にとっては非常に苦しい状況だろう。

 

しかし、責任感が強い涌井投手だからこそ、きっとこの困難な状況を乗り越えることができると私は信じている。

クールに白星を積み重ねて、ロッテ浮上のきっかけを作ってくれるだろう。

天才であり努力家 4年連続盗塁王 片岡治大

天才だと思う野球選手の名をあげろと言われたら私はこの片岡選手の名前をあげたい。 

誰もが縮こまるような状況で難なく盗塁を成功させたり、ここという勝負所でバッテリーの配球を読み切って大仕事をする。

 

技術もさることながら、大舞台でとてつもない仕事が出来る希有な才能を持っているのだ。

 

2008年の日本シリーズ5盗塁、2009年WBC4盗塁を成功率100%で記録した時はこの人に緊張や恐れの二文字はないのかと驚嘆したほどだ。

 

中日ファンがもうアライバコンビのプレーを観れなくて寂しいように、西武ファンは片岡・栗山の1・2番コンビを観られないのが寂しい。

 

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私が今まで観てきたライオンズの選手の中で、最もここ一番で頼りになったのが片岡選手だった。

時折淡泊に映るプレイは天才特有のものだと私は割り切っていた。

 

そんな片岡選手だが、もちろんただの天才ではない。

プロで結果を残すために人並み外れた努力をして球界屈指のスピードスターの座に上り詰めた。

 

プロ入り1年目の年に片岡選手は走攻守全てにおいてプロのレベルの高さを痛感。

このままではすぐにクビにされるのではないかと恐怖におびえたそうだ。

 

そこで片岡選手が活路を見いだしたのが盗塁。

50m6秒台と歴代の盗塁王に比べてそれほど速くない走力だった片岡選手はスタート、塁間タイム、スライディングの技術を徹底的に鍛えた。

その結果、4年連続盗塁王のタイトルに輝いたのだ。 

 

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実は私は片岡選手が西武に入団したとき、快く思っていなかった。

それは私が尊敬してやまない松井稼頭央選手の背番号7をいきなりもらったからだ。

なぜ、何の実績もない選手にすぐに7番を与えるのか。

そんな怒りにも似た感情を抱いていた。

 

しかし、その私が見当違いであり、西武球団の審美眼が確かなものであることはすぐに証明された。

むしろ7番をつけるのが片岡選手で良かったとさえ思えるようになった。

少しでも7番をつけることに恨みを抱いた自分を恥じたのは今では良い思い出だ。

 

そんな片岡選手の西武時代に忘れられないプレーがある。

それは確か2012年の開幕して間もない試合のことだった。

 

脚の怪我の影響で満足にプレーできない状況だった片岡選手はけがを押して強行出場。

私が見に行った試合は開幕から中々勝ち星がつかないエース岸投手が登板。

 

序盤から波に乗れない岸投手を援護しようと、片岡選手は痛い足をかばうように全力疾走をしていた。

見るからに痛々しそうに走る片岡選手を見て、胸が痛んだことを今でも覚えている。

 

そんな片岡選手決勝のホームランを放ち、岸投手を援護。

全力疾走する必要のない本塁打を放ち、ゆっくりと嬉しそうにベースを一周する姿を見て、泣きそうになった。

 

その試合のヒーローインタビューで自分のことは一切語らず、「何としても岸に勝たせてあげたかった」と口にしたのを聞いて、涙腺崩壊しそうになった。

 

そんな片岡選手は2013年にFA権を行使して巨人に移籍。

一時残留もありそうな雰囲気だったが、憧れの原辰徳監督がいる(そのため背番号は8)ジャイアンツを選ぶことになった。

 

ジャイアンツ移籍後はけがに悩まされ西武時代とは程遠い成績しか残せていない。

出場試合数は126→113→32と年々減少。

盗塁数も24→21→4と下降の一途をたどっている。

 

【2017年の成績】

・出場0

 

2017年は怪我の影響で出場試合はいまだ0。

二軍での調整が続いている。

現在二塁手のレギュラーが固定できずにいる巨人。

片岡選手がいれば一発で解決できるのに非常にもどかしい。

 

今年34歳という年齢を考えれば、まだまだ老け込む歳ではない。

 

現在大型連敗中と苦しむ巨人。

そんなチームには片岡選手のような流れを変えられる選手の存在が必要だ。

 

もし、今年結果を残せなければ戦力外の可能性もある。

正念場のスピードスターがまた所狭しとベース間を駆け回る姿を見たい。

21世紀最高のミスターレオ 中島宏之

21世紀のライオンズで最も人気があった選手は誰か。

エースの西口、松坂、涌井、岸。

中軸のカブレラ、和田、中村。

華のある松井、片岡、浅村。

 

数多くの選手の名前が上がるが、恐らく1番人気があったのは中島裕之(現中島宏之)を置いて他にいないだろう。

次点で元キャプテン栗山選手の名前があがるかもしれない。

 

とにかく人気が凄かった。

黄金時代の清原、松坂フィーバー、トリプルスリーの松井とそうそうたるメンバーがプレイしていても閑古鳥が鳴くことが多かった西武球場&ドーム

 

その本拠地を満員にしたのが他ならぬ中島選手だった。

もちろん球団の営業努力、他の選手の人気、チームの状態など様々な要因が重なっての満員だが、中島選手の存在なくして球場の満員はなかっただろう。

 

強打のショート、甘いルックス、ここ一番での勝負強さなど、圧倒的存在感でチームを牽引した。

 

最高出塁率2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞3回、日本シリーズ優秀選手賞1回など輝かしい実績を残した。

 

2012年オフ、かねてから希望していたメジャー挑戦のためにFA権を行使して、オークランド・アスレチックスと2年契約。

残念ながらメジャーデビューはならず、2014年オフにオリックスで日本球界復帰。

 

その際、松井稼頭央、松坂の時には声をかけなかった西武が中島には正式オファーを提示

西武は伝統的に移籍した選手に対してあまり未練がない。

それを象徴するようにたとえどんな大物選手がつけていた背番号でも簡単に移籍した選手や新人に良い背番号を渡す。

秋山の1番、清原の3番、松井稼頭央の7番、岸の11番など。

 

そんな西武だが、中島の3番に関しては簡単に渡そうとはしなかった。

浅村選手という正統な後継者がいても、空白にし続けた。

 

それはいつか中島が戻ってくるだろう、戻ってきて欲しいという西武球団の想いだったのだろう。

結果的にオリックスに中島選手が入団し、4年間の空白期間を経て浅村選手が3番をつけることになった。

 

中島選手は日本復帰後、中々元の状態を取り戻せずにいる。

2015年には昼食中にぎっくり腰を発症するなど、西武時代には考えられないほど故障を頻発している。 

 

そんな中島選手だが、復帰3年目となる今シーズンは復活の兆しを見せ初めている。

【2017年の成績】

・50試合

・打率.290

・本塁打3

 

かつての輝きとはほど遠いが、戦力としてはそれなりに機能している。

現在通算1625安打。

今年34歳ということを考えれば、2000本安打は射程圏内だ。

 

3年契約の最終年となる今シーズン結果を残せなければあすの我が身はわからない立場。

 

かつての西武の貴公子の偉業を目の当たりにしたい私としてはまだまだこれから更に調子を上げて欲しい。

そのために今シーズン中に1700安打を放つくらいの活躍を見せて、来季以降にも繋げて欲しい。

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まとめ

早ければもう5年もしないうちに今日ここで名前を挙げた選手が全員引退しているかもしれない。

 

西武で一時代を築き、西武ファンを熱狂させてくれたスーパースターたち。

 

彼らの最後の輝きをしっかりと目に焼き付けて、生涯の宝物としたい。

 

もし彼らの引退が決まったら私は必ず球場に駆けつけるだろう。

ただ、その日が一年でも先になることを祈っている。


それでは、さようなら!

 

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