野原しんのすけといえば大の綺麗なお姉さん好き。
ポイントはこの「お姉さん」という部分。
彼は女子高生以上の女性しか恋愛対象にしないということを連載当初から公言している。
実際、彼のナンパシーンは全て女子高生以上の綺麗な女性のみ。
彼が本気で恋をしたななこお姉さんも女子大生。
しかし『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ』ではしんのすけをその自分の価値観を打ち破って女子高生未満の少女『つばき』に恋をしてしまう。
※『雲黒斎の野望』で15歳の吹雪丸(女)にしんのすけが「結婚しない?」と口説いたのは除く。
だが私はこの作品を観て、「このしんのすけの恋は本当の初恋と言えたのだろうか?」とやや疑問を感じた。
果たして今作でしんのすけに芽生えた感情は本物の恋と言えたのだろうか。
その答えを私なりに今日は語っていく。
目次
- 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ』とは
- 映画の中に取り込まれたかすかべ市民 止まった時間、失われていく記憶
- かすかべ防衛隊解散の危機!? 初主演作で彼らが見せた友情とは
- しんのすけのつばきへ恋は本当の初恋だったのか?
- つばきはどこへ消えた? つばき=シロ説について
- クレヨンしんちゃん映画を観るなら!
- まとめ
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ』とは
概要
2004年4月17日に公開された『クレヨンしんちゃん』の劇場映画シリーズ12作目。上映時間は96分。興行収入は約12.8億円。
キャッチコピーは『しんのすけ、カムバ~ック!』。
ギャグの比率が多く、コメディ色が強かった前作から一転しており、物語はシリアスな内容となっており、劇中のシーンも重い描写が目立つ。
あらすじ
ある日、鬼ごっこをしていたかすかべ防衛隊の五人は、町中を駆け回っているうち、一軒の古びた廃映画館「カスカベ座」を見つける。
誰もいないはずの劇場では、ひたすら荒野が映し出されているだけの映画が、ひとりでに、ひたすら無音で上映されていた。それを見つめるかすかべ防衛隊―――だが、トイレに立ったしんのすけが劇場に戻ると、風間トオル達はどこかに姿を消してしまっていた。
夜になったが、しんのすけ以外の四人は、いまだにそれぞれの家に帰っていない様子。
行方不明になったみんなを心配した野原一家(しんのすけ、ひまわり、みさえ、ひろし)はしんのすけ先導のもと再びカスカベ座を訪れるが、またも流れていた荒野の映像に目を奪われているうちに、気が付けば映画と同じ、何もない荒野に立っていた。
突然の状況に困惑する野原一家だったが、しかたなく荒野を歩きながら他の人間を探し始める。
歩き始めてから数時間後、ようやく荒野を走る一本の線路を見つけることができた四人は、その線路に沿って進んでいき、そこで、西部劇に出てくるような古びた町を発見する。
春日部への帰り道を聞くため酒場に入る野原一家だが、そこで人相の悪い連中に因縁をつけられ、乱闘騒ぎになってしまう。
ほどなくして保安隊が制止に現れるが、なんとその隊長は、行方不明となっていた風間トオルであった。
保安隊の保安官(シェリフ)として仕事をしていたらしい風間トオルに、いつも通り親しげに話しかけるしんのすけだったが、いきなり腹を殴られてしまう―――風間トオルはどういう訳か、しんのすけ達のことをまったく覚えておらず、性格も粗暴になっていた。
風間トオルの指示により保安隊から追われる身となってしまったしんのすけ達は、逃亡の途中、この町「ジャスティスシティ」の知事であるジャスティスに仕えている、つばきという少女に救われる。
つばきもこの場所が何なのかはわからないが、「この世界に来た人間は、次第に元の世界にいた記憶を忘れていく」という事実と「帰りたいという気持ちが強いのなら、その気持ちを忘れずに持ち続けてください」という助言を野原一家に伝え、ジャスティスのもとに戻る。
つばきが去ったのち、保安隊に暴行を受けている男性を目撃した野原一家は保安隊の目を盗んでその男性を解放、事情説明を求める。「マイク」と名乗ったその男は野原一家と同じで、春日部の元住人らしく、〝どうやらここは映画の中の世界らしい〟ということと〝この世界は時間が止まっているらしい〟ということを野原一家に教えてくれた。
マイクは、荒野に三ヶ所あるという、ジャスティス指定の「立入禁止区域」に、何か元の世界に帰るための手がかりがあるのではないかと思い侵入したが、何も見つからなかった上に、保安隊に見つかり厳しい体罰を受けたという。
しかもマイクはつばきの言うとおり、自分の職業や家族のことを忘却していた。そんなマイクを見た野原一家もまた、自分たちもいずれはそうなるかもしれないと危惧するのだった。
しんのすけはジャスティスシティにて、行方不明だった佐藤マサオと桜田ネネを発見するが、夫婦となって暮らしていた二人は風間トオル同様、しんのすけや春日部に関する記憶を失っており、その上、今の状況に満足しているからと、春日部への帰還を拒否する。
町はずれで閑居していたボーちゃんだけは、いまだにしんのすけや春日部のことを憶えており、しんのすけと共に、全員で無事に春日部に帰還することを誓ってくれたのだが、しかし、そんなしんのすけとボーちゃんにもまた、少しずつ、忘却の波が迫りつつあった・・・・。
結局、春日部に帰る方法は見つからず思案に尽きる野原一家。
それでもどうにか、春日部にいた頃の記憶を維持しつつ、元の世界に帰る方法を見つけようと決意する。
しかし、日が経つにつれ記憶は徐々に薄れていき、ひろしはマイクと共に強制労働を強いられ、みさえはこの世界の生活に馴染んでしまい帰ることをあきらめ、ひまわりはしんのすけのことを忘れ、更にしんのすけもぶりぶりざえもんの絵が描けなくなってしまっていた。
――しかしそんなある日、しんのすけ達はとうとう春日部に帰る方法を思いつく。
それは、この世界における悪役・ジャスティス知事を倒し、この世界に平和を取り戻して映画をハッピーエンドにするというものだった。
そのためのヒーローとして選出されたのは、しんのすけ達かすかべ防衛隊の五人。しかし、完全に記憶が戻っていないかすかべ防衛隊の心はてんでバラバラで・・・・
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」 予告編
映画の中に取り込まれたかすかべ市民 止まった時間、失われていく記憶
この映画の設定は映画の中、いわゆる劇中劇です。
その中には2つのタイプの人間が存在する。
1つは元々の映画の中の住人。
もう1つは現実世界から映画の中に取り込まれた人(主に春日部市民)。
この映画の特徴的な設定の1つが、この映画の中に取り込まれた人は徐々に現実世界での記憶を失っていくということだ。
そして映画の中の住人になっていくのだ。
映画の中に取り込まれた当初は現実世界に戻りたいと強く願うのだが、いつしかその思いは薄れていき、映画の中で暮らしていくことに抵抗感を感じなくなる。
ある種ホラー要素でもあるこの設定。
普段は強い意思で困難を乗り越えていく野原一家、かすかべ防衛隊もその例外ではない。
ひまわりがしんのすけのことを忘れて、しんのすけに怯え出すシーンはかなり印象に残る怖いシーンの1つだ。
この映画の批判対象として中盤の中だるみを指摘する声もある。
中盤で登場人物たちが徐々に映画の中の生活に慣れていく様子を描いていく部分だ。
個人的にはこの部分に時間をかけるのは好きだ。
クレヨンしんちゃん映画と言えば「日常が浸食されて、非日常に巻き込まれていく」という展開がお決まりのパターン。
ことの事態の大きさを物語る上ではこの日常と非日常のコントラストが非常に大きな意味をもつ。
放映時間の尺の問題もあるが、最近の映画ではこの日常が浸食されるのが非常に速い。(ここではそれの是非は関係ない。あくまで私が徐々に日常が浸食されるパターンが好きだという話だ)
ところが初期の映画ではその日常が浸食されるシーンに時間をかける傾向があった。
大好きなアクション仮面。
家族の海外旅行。
子供たちの憧れのテーマパーク。
自分たちが普段何気なく好きなものを楽しむ、思い焦がれる裏側で悪の支配が同時に進行し、野原一家が非日常に引き込まれていく。
私はこの展開がいかにも劇場版らしくて好きなのだ。
その面ではこの映画はいきなり冒頭から非日常世界に取り込まれるのでは厳密に上に挙げた作品と同パターンとは言えない。
しかし、映画の中に取り込まれて以降は本当に徐々に日常が浸食されていく。
殺伐としていくみさえ、しんのすけを忘れるひまわり、松坂先生の名前を忘れるボーちゃん、ぶりぶりざえもんが描けないしんのすけ。
しんのすけとボーちゃんが2人で記憶合わせをしながら記憶を保とうとする。
強い意思をもった2人でさえ、道ですれ違っても危うく忘れかけて恐怖するシーンなどは迫りくる完全なる記憶損失への怯えと恐ろしさを物語っており非常に良い描写だと感じた。
かすかべ防衛隊解散の危機!? 初主演作で彼らが見せた友情とは
この作品には二つの軸が存在する。
1つはしんのすけとつばきの恋。
そしてもう1つはかすかべ防衛隊の友情。
特にかすかべ防衛隊に関しては映画タイトルに初めて名前が使われたことからもわかる通り、かすかべ防衛隊としての初主演作と言える。
この作品ではみさえ&ひろしがあまり活躍しないのだが、その理由としてはかすかべ防衛隊を目立たたせたかったという思惑があるのだろう。
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そのため、前述した通りしんのすけが記憶を忘れないように強力するパートナーはボーちゃんになっている。
バラバラになったかすかべ防衛隊だが、物語が動き出した中盤以降非常に重要なカギを握ってくる。
映画を終わらせることがこの世界から脱出する唯一の方法だと気づいた元の世界の住民。
そしてオケガワ博士が開発したパンツを履いて戦いに挑むカスカベボーイズ。
一番のハイライトはやはり風間くんとしんのすけのやりとり。
最後まで映画の中の住民として生きようとする風間君が実は無理して悪態をついていることをしんのすけが見抜くシーン。
列車に飛び乗れず、絶対絶命に陥る風間君をしんのすけが走って助けにくるシーン。
道具や他の誰かの力を使うのではなく、しんのすけ本来の優しさと思いやりで友を救う姿はこれこそクレヨンしんちゃんといった感じがして良い。
最後の戦闘シーンで奮戦するも100%の力を出し切れないかすかべ防衛隊。
その彼らが本当の力を発揮するために必要だった”いつもの合言葉”。
記憶を失いかけた彼らがその言葉を思い出し、叫ぶことで本来の力を発揮するという展開は映画の設定を活かした非常に良いシナリオだ。
しんのすけのつばきへ恋は本当の初恋だったのか?
ここからしんのすけのつばきへの想いが本物だったのかについて語っていく。
先にいうと答えはNOだ。
私は本物の恋だとは思わない。
その理由は2つある。
主人公が誰かに恋をする映画のパロディーに過ぎない
1つはしんのすけがつばきに恋をするのはよくある映画のパロディーに過ぎないと思うからだ。
最初につばきに会った時点ではしんのすけはつばきを恋愛対象としては見ていない。
だが、物語が進行していくに従ってしんのすけは徐々につばきに恋をしていく。
最初にそのことをボーちゃんに指摘された際、しんのすけは否定する。
が最終的にはその感情を認め、自らつばきに想いを伝えている。
こうしてみると徐々に好きになっていっているように見える。
しかし、個人的にはこれはしんのすけが映画の中の住人になっていたに過ぎないと感じる。
記憶と共に本来の人格・趣味嗜好が変わっていく中で生まれた偽物の感情に過ぎないと。
映画の主役が誰かに恋をするという設定がこの映画の中では必要な要素に過ぎなかったわけだ。
例えるなら、ルパン三世がいつも女性と良い感じになる展開に類似している。
つまり物語の構成上、主人公が誰かに恋をするという展開をパロっているに過ぎないと私は思う。
しんのすけには一途でいて欲しい
2つ目の理由は私が個人的にしんのすけには一途でいて欲しいということだ。
しんのすけに想いを伝えられた際につばきは「でも、ななこさんはどうするの?」と尋ねている。
この時しんのすけは困惑して頭を抱えています。
しんのすけがつばきを好きだと仮定してこの描写から考えられる可能性は2つ。
- しんのすけのななこさんへの想いは本物ではなくつばきへの恋が本物
- しんのすけは同時に2人の女性を好きになった
「ななこお姉さんはあくまで大人の女性への憧れで本物の恋ではない」と仮定すれば辻褄は合う。
しかし、ななこさんに惚れる通常回を見ていると私にはそうは思えない。
5歳児に本物の恋なんてわからないと言ってしまえばそれまでだが、それを言ってはクレヨンしんちゃん自体を否定することになる。
しんのすけを1人の男として扱うのであれば、しんのすけがななこさんに感じた愛(感情)を私は本物だと認めてあげたい。
そして2の同時に2人の女性を好きになるパターン。
これもしんのすけファンの私としては認めたくない。
確かに同時に複数の女性に好意をもつ人もいるが、しんのすけにはそうあって欲しくない。
父ひろし、母みさえを見ていても彼らは他の異性に目がいきながらも心根のところでお互いを愛し合っている。
それを見て育った子のしんのすけが浮気性であって欲しくない。
そうしないとしんのすけの純粋さが薄れてしまい、キャラクターとしての魅力が損なわれてしまうのだ。
ようは私は2つのパターン、つまりしんのすけがつばきのことを好きであるという展開を望んでいないのだ。
結局しんのすけがつばきのことを好きなパターンを受け入れたくないだけ
何だか話がグチャグチャになってきたが、ようは私はしんのすけがつばきのことを好きというパターンを認めたくないのだ。
もしこれを認めると通常回よりも劇場版を優先にした感がいなめない。
ようは劇場版が売れるためなら本来の設定をどこまでも壊してよいのかって話になるわけです。
そういったダブルスタンダードを作るのは原作ファンへの冒涜だと私は思う。
これがもし「ななこお姉さんよりつばきちゃんが好き!」くらいしんのすけに言わせる潔さがあればまだしも、肝心なところは濁す辺りにこの通常回と劇場版の両方に良い顔をしている感じが否めない。
なので、今回のしんのすけが抱いた感情は一種のつり橋効果に過ぎなくて、映画の住人に洗脳される過程で出来た偽りの感情だとした方が私としては収まりがよい。
※注:つり橋効果とは
不安や恐怖を強く感じている時に出会った人に対し、恋愛感情を持ちやすくなる効果のこと。
つばきはどこへ消えた? つばき=シロ説について
この作品はラストシーンについて様々な議論がなされている。
最後にしんのすけたちが映画館に戻ってきたときに、なぜ映画館の椅子の数が5→6に変化したのか。
なぜ最後にシロがでてきたのか。
シロがつばきの正体なのではないか。
などなど。
しかし、これらの憶測に対して、水島努監督は自身のブログで否定している。
「質問です。クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズの最後、椅子が5個から6個に変化したのは、つばきちゃんと関係あるのでしょうか?よろしくお願いします」
大変申し訳ないことなのですが、「椅子の数の変化」は演出意図でもなんでもなくて、単純にミスです。登場人物であるつばきとは何の関係もありません。深読みをさせてしまって本当にごめんなさい。
また、シロ=つばき説も完全に否定している。
ずいぶん前ブログのコメント欄にも書いたのですが、少なくても製作中はそんな意識はありませんでした。
カスカベボーイズ」はシナリオが完璧でない状態で実作業に入っており、特にラストのくだりは「しんのすけは何かをきっかけとして立ち直る」みたいなことしか(自分のせいですが)書かれてありませんでした。「そうだ。立ち直るきっかけはシロにしよう!」と思いついたのはずいぶんと後のことでした。
なのでつばきがいなくなって変わりにシロがやってきた、というのははっきりいってたまたまです。
ただ、初号試写(はじめて冷静に、一本通して見られる状態)のときに、「つばきとシロ」は何か関係がありそうに見えるなあと、無責任に思ったのも事実です。
引用:カスカベボーイズのつばきのこと。(ネタバレありです) - 月夜の上機嫌
見ればみるほど、意味深にも見るラスト。
特にひろしの行動が様々な憶測を生んだ。
しかし、実際は偶然の産物だったのだ。
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まとめ
しんのすけが抱いた感情は恋だったのか?
ラストシーンでつばきが現実世界に戻ってこなかったため、その答えは闇に消えてしまった。
しかし、そういったファンに考える余地を与えるののもまた映画の1つの魅力。
今回の私のような否定派もいれば肯定派もいるだろう。
そういった余白含めてこの映画の魅力だと私は思う。
他の作品と比べると評価が高い作品ではないが、私は大人も子供楽しめる要素があって非常に面白いと感じた。
ラストシーンをどう捉えるのか含めてこの作品には見所が多くある。
是非一度鑑賞して欲しい作品の1つだ。
皆さんもぜひお手にとられてはいかがでしょうか。
それでは、さようなら!