死ぬまで生きる問題

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のび太の自立はいつになる『帰ってきたドラえもん』と『さようならドラえもん』読んで感じた疑問

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「思い出に残るドラえもんの作品はなんですか?」と聞かれると様々な答えが返ってくるでしょう。

 

劇場版での大冒険や友情、何気ない回で自分が印象に残っている回など人によってそれぞれ思い出に残るお話はあるはずです。

 中でも非常に人気のあるのが『帰ってきたドラえもん』ではないでしょうか。

 

もともとはアニメの1エピソードとして放送された話が多くのファンから高評価を受けたことから、劇場版としてリメイクされたこのお話し。

 

以前、アメトークでドラえもん芸人が放送された際に感動的な回として紹介されるなど今なお感動的なお話しとして語り継がれる名作です。

 

ただ、正直に言うと私はこのストーリーが評価される風潮って納得出来ないんですよね。

そこで今日は私が『帰ってきたドラえもん』を受け入れられない理由本当に評価されるべきは『さようならドラえもん』の方だろって話をさせて頂きます。

 『帰ってきたドラえもん』と『さようならドラえもん』とは

原作漫画『ドラえもん』の7巻に収録されている作品「帰ってきたドラえもん」および同6巻収録「さようなら、ドラえもん」が原作。

その二つの話を1つにしてアニメ化し、後に映画化された。

「さようなら、ドラえもん」のストーリー

急遽ドラえもんは未来の世界へ帰らなければならなくなる。

のび太は必死に止めるが、別れが辛そうなドラえもんを見て、ドラえもんとの別れを受け入れる事にする。

 

最後の夜、ひょうんなことからジャイアンとのび太は喧嘩をすることになる。

 

ドラえもんの心配を払拭させるべく、のび太はドラえもんに頼らず単身ジャイアンに挑む。

 

 ボロボロになりながらもジャイアンに勝利したのび太とそののび太を支えながら涙するドラえもん。

 

 のび太の寝顔を見守りながらそっと未来に帰っていくドラえもん。

 

 ドラえもんが帰った後に寂しさを抱えながらも1人たくましく生きていくと誓うのび太

「帰ってきたドラえもん」のストーリー

ドラえもんがいなくなって寂しいのび太。

 

そんなのび太にジャイアンがドラえもんを見かけたと告げる。

 

急ぎ空き地に向かったのび太だがそれが嘘であることを告げられる。

 

復讐に燃えるのび太。

 

そののび太には帰る前にドラえもんが残した1つの秘密道具があった。

 

その秘密道具の名は「ウソ800」。

ウソ800は飲んだ人間の言ったことをすべて嘘とさせることが出来る。

そのため言ったことと反対のことを現実にすることができる道具なのだ。

 

のび太はこの道具を使って、スネ夫に対しては「君は犬にかまれない」と言って犬に追わせる。

 

ジャイアンには「母親に褒められる」と言って母親に叱らせた。

しかし、どんなに復讐をしてもドラえもんが帰ってはこない事実に虚しさを感じるのび太。

 

そしてポツリ一人でこう呟く。

 

「もう、二度とあえないんだから」と。

 

 

傷心したのび太が部屋の扉を開けるとそこには...

 

のび太の「もう、二度とあえないんだから」という言葉がウソ800の力によってうそになったことで感動の再会を果たした2人。

ドラえもんのそもそもの目的って何なの? のび太の自立のためじゃないの!?

先に言っておくと私はこの二つの話がとても好きですし、どちらも評価されて良い話だと思います。

ただ、「さようなら、ドラえもん」が存在する以上、前述した二つの話が同居することがちょっと納得がいかないのです。

 

そもそもドラえもんがのび太のもとに送り込まれたのはのび太の成長のためですよね。

 

そののび太がドラえもんとの別れの際に、ドラえもんなしでも大丈夫であることを証明したわけで、それこそがドラえもんの当初の目的が果たされた瞬間なのではないのでしょうか。

 

ここでせっかくのび太は自立への道をたどり始めたわけで、「ドラえもん」という作品の主人公ドラえもんがいなくなり、ある意味「のび太」という物語が本当の意味で始まったところじゃないですか。

 

なのに、肝心ののび太はドラえもんがいなくなったことで腑抜けになるようではなんのためにドラえもんはのび太の元に派遣されたのかとなるわけです。

 

 ドラえもんなんかにもありがちですが(劇場版ジャイアン、のび太の逞しさ)、劇場版になると急にたくましくなる展開があまり好きになれないのです。

 

正確に言うとそのあとの通常回(テレビ放送)で元に戻るのが好きになれないです。『えっ!?Σ(゚д゚lll) あの成長した姿はどこにいったの?』という気持ちが沸いてくるのです。

 

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本来教育などの目的は頼れる人がいなくなっても生きていける人の育成にあるわけですよね。

 

頼れる人がいなくなったら精神的にだめになっていくような人に育てるってのは本来の目的から外れているように感じます。

 

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もちろん小学5年生の少年に別れをすぐに受け入れろとは言いません。

人との別れを悲しむ感情は誰にでもあることなので否定はしません。

ただ、それを乗り越えて自分自身成長したり、新しい友情を築いたりしていくことで人は強くなるわけじゃないですか。

 

そのせっかくの機会を奪ってしまうことがのび太にとって良いことかと言われると私は疑問しかありません。

 

これが「さようなら、ドラえもん」がなくてかつ、ドラえもんが不慮の事故で帰らぬものになったのであれば「帰ってきたドラえもん」は素晴らしい話だと思います。

 

しかし、せっかく「さようなら、ドラえもん」で自立する少年の素晴らしさを描いているだけにこの二つの話が同居してしまうことが私にとって残念でなりません。

スネ夫とジャイアンは薄情じゃない!!

「ドラえもんがいなくなってジャイアンやスネ夫は寂しくないのか!!」とおっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、私はそうは思いません。

 

もちろんのび太と比べると彼らはドラえもんと過ごした時間が異なります。

それでも、ドラえもんがいなくなっても楽しく過ごそうとしている彼らの方がよっぽどたくましいですし、前向きな人間だと思います。

 

嘘をついたのは良くないことかもしれませんが、それだって落ち込むのび太を励ますためだったととれば非常に友達想いの良い奴らです。

 

むしろ、しずかちゃんを含め自分を想ってくれる友達がいてくれるのに、もういない人(ドラえもんは人じゃないか)のことを想い続けるのび太のほうがよっぽどひどいような気がします。

危険なドラえもんとの依存関係

よくのび太を批判する声としてドラえもんへの依存を訴える声があります。

もちろんのび太にはドラえもんには頼らずとも生きていける素晴らしい面が多々あります。

 

しかし、果たして小学5年生の時点で精神的にここまで何かに依存した人間が自立していけるのでしょうか。

 

のび太には素晴らしい素質があるだけに私は残念でなりません。

 

未来ののび太はしずかちゃんと結婚するなど良い未来を築いています。

しかし、それはあくまで1つの可能性であり、もしのび太が自分で努力をしなければ原作1巻の通りジャイ子と結婚(これが悪い未来とは言えませんが)するなどの可能性もありえるでしょう。

 

友情を大切にする心と依存体質な性格を切り離して考える必要があるかと思います。

そうしなけば野比のび太という人間は本来持っている自分の才能を枯らしてしまう可能性があるからです。 

原作

 今回ご紹介したお話は原作の6巻に収録されています。

興味がある方はお手に取られてみてください。

 

まとめ

頼れる人がいる、信頼出来る友人がいるということは本当に素晴らしいことです。

しかし、どんな関係にも必ず別れの時がきます。

それまでの時間を最高のものにし、別れがきたらその思い出をしっかりと大切にしながらも、新たな道をしっかり歩んでいく。

 

それが人と人と関係に置いて大切なことではないでしょうか。

 

それでは、さようなら!

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