死ぬまで生きる問題

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プロ野球に革命をもたらした『平成1・2番コンビ』ベスト10 送りバントだけが仕事じゃない!

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Dúo

プロ野球の長い歴史において個人プレー・成績だけでなく、複数の選手で記憶に残った選手は多数います。

 

代表的なところでは巨人のV9を支えたONコンビ、江夏・田淵の黄金バッテリー、兄弟で西武の黄金時代を支えた松沼兄弟、近鉄を最強のいてまえ打線で優勝に導いたローズ・中村紀洋ら数多の個性的なコンビがプロ野球には存在しました。

 

 そして今回は野球の中でコンビとして名前が上がる1・2番打者による『1・2番コンビ』についてお話していきます。

 

題して俺の印象に残るプロ野球『平成1・2番コンビ』ベスト10!

目次

私の1・2番コンビ観 

私が1・2番コンビに一番求めるものはチームの勝利に貢献したかどうかです。

 

近年のメジャーリーグでは強打者を2番に置くスタイルが定着しつつありますが、まだまだ一般的に1・2番の役割はテーブルセッターの役割です。

 

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クリーンアップと言われる中軸にどれだけチャンスを回せるか。

それが1・2番に求められる役割です。

 

それが何を意味するかというと求められるのはチームの得点と勝利に貢献できたかどうかということです。

 

全ての選手に言えることでもありますが、他の選手以上に1・2番にはチームに貢献できたかどうかが求められます。

 

独力でチームを勝利に導けるエースやホームランバッターとは違って、あくまでチームを機能させるためにいる存在

それが1・2番コンビだと私は考えています。

私の好きな1・2番コンビの組み合わせ

様々な組み方がある1・2番コンビ。左右、走力、小技、長打力、積極性など。

 

その中で私が好きな1・2コンビの組み合わせは2つです。

 

  • 長打力型の1番打者と小技が出来る2番打者
  • 盗塁力がある1番打者と選球眼に優れ、出塁率が高い2番打者

 

これらが好きな理由は後述しますので、ここでは私が好む1・2番の組み合わせについてだけ述べておきます。

選出対象及び評価要素

選出対象は私が野球を観始めた1998年から2016年までの中で印象に残る1・2番コンビを選出します。

 

また、選出にあたっては以下の要素を考慮します。

  • 個人成績(特に出塁率)
  • 優勝に貢献したかいなか
  • 相互補助できていたか
  • 私の1・2番コンビ観に影響を与えたか

発表!プロ野球『平成1・2番コンビ』ベスト10!

ではでは早速発表していきます。

10位 佐藤友亮・赤田省吾(2004年)

のっけから西武推しです。

この二人のコンビで印象深いのは2004年のプレーオフ・日本シリーズでの活躍です。

 

フェルナンデス・カブレラ・和田・貝塚・中島の強力な中軸を擁したこの年のライオンズにあって1・2番の存在は非常に重要なものでした。

 

【2004年 西武ライオンズ中軸の主な成績】

選手名 打率 本塁打 打点
フェルナンデス 0.285 33 94
※カブレラ 0.280 25 62
和田 0.320 30 89
貝塚 0.307 14 75
中島 0.287 27 90

※カブレラ選手は開幕前の故障の影響で出場62試合

 

しかし、2002年に圧倒的強さで優勝した年の1番松井稼頭央はメジャー移籍、2番小関は大不振ということもあって西武は新たな1・2番を探していました。

 

その時に出てきたのが若い佐藤(当時26歳)・赤田(当時24歳)の1・2番兼右中間コンビだったのです。

 

打率や盗塁数、長打力に優れた成績を残したわけではありませんが、二人で出塁率.341を記録

 

数字に現れない打席での粘りも魅力で、相手投手が中軸と対戦する前に疲れてしまうのではないかというくらい粘っていたことを鮮明に覚えています。

 

彼らの台頭で今後西武の1・2番兼右中間は10年安泰かと思いましたが、その後2人は怪我や不振、若手の台頭もあり、この年がピークになってしまったのが残念です。

 

ただ、間違いなくあの年西武が日本一になった陰には彼らの若さあふれるがむしゃらな粘りがあったからです。

 

そのため優勝への貢献度合を考慮してこのランキングにいれました。

9位 仁志敏久・清水隆之(1996年~2006年)

このコンビが私にとって印象深いのは2002年の1・2番に打順組み換えでした。

 

それまでは同期入団コンビとして1番仁志・2番清水というのが一般的な形でした。

この形で2000年に日本一になるなど当時の巨人の代名詞的なコンビになっていました。

 

しかし、2002年に原辰徳監督が新しく就任すると2人の打順は1番清水・2番仁志の形に入れ替わることになりました。

 

後続に高橋由伸、松井秀喜と左打者が続くことや清水選手の積極性を活かすための打順変更は清水選手にとっては大きなものとなりました。

リーグ最多安打となる191本を放ち、キャリア最高の成績を残したからです。

 

しかし、仁志選手は打撃不振に陥り、故障もあり最終的に7、8番を打つことが多くなってしまいました。

 

1番打者として優秀な二人の選手を1・2番として並べても機能するわけではない。

野球というチームスポーツにおいて選手を機能させることの難しさを学べたという点で非常に印象に残っています。

 

8位 青木宣親 リグス(2006年)

日本の伝統的な打順の組み方であれば、当時のヤクルトには犠打の名手宮本慎也選手がいたため当然2番宮本となる。

 

しかし、古田監督の采配は強打の外国人リグス選手の2番起用。

 

その背景には1番青木宣親選手の存在がありました。

 

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 前年、リーグ首位打者に輝き、29盗塁を記録した出塁率と走力は最大限活かすために青木選手が塁に出たら宮本選手がバントするのではなく、青木宣親選手に走らせたい。

 

基本的に盗塁を警戒した場合、バッテリーはストレートを中心に投球を組み立てる。

そのストレートをリグス選手に狙わせようと考えてのこの打順。

 

ストレート系ならリグス選手に長打を打たれ、変化球なら青木宣親選手に盗塁を許す。バッテリーにとって非常に頭を悩ますコンビであったのは間違いない。

 

結果的に青木宣親選手は両リーグトップの192安打を放ち2年連続の最多安打のタイトルと41盗塁を記録して盗塁王(赤星憲広選手の6年連続盗塁王を阻止)のタイトルを獲得。

 

二番のリグス選手も打率.294、チーム最多の39本塁打の他、94打点11盗塁を記録。5月と8月に月間MVPを獲得する活躍を見せた。

 

従来の戦法とは異なる1・2番のスタイルは私の1・2番に非常に大きな影響を与えたためランクインさせました。

 

結果的にチームが3位どまりだったためこの位置ですが、個人成績、相互補助性は非常に高かったコンビです。

7位 マートン・平野恵一(2010年)

個人成績だけなら平成セ・リーグ屈指の1・2番。

 

1番マートンはリーグ3位の打率.349, 両リーグ通じて最多の214安打。

2番平野恵一選手はリーグ2位の打率.350, 左打者ながら対左投手の打率は.399を記録。球団新記録となる59犠打も挙げて二度目の最多犠打を記録。

 

1・2番の出塁率は驚異の.397

その結果、

 

3番鳥谷敬選手は100打点(遊撃手としてプロ野球史上初)を記録。

4番新井貴浩選手は112打点。

5番ブラゼル選手は117打点

 

クリーンナップ3選手が揃って100打点を記録したのです。

 

平野恵一選手が3割を放ったのはこの年が最初で最後。

その背景にはマートン選手の高い出塁率が関係していました。

59犠打も挙げた犠打力もさることながら、一塁にマートン選手がいて一二塁間が空いている場合は強攻でチャンスメイクもする。

 

平野恵一選手はこの年の好調の要因をマートンの出塁によって自身の新たなヒットゾーン・パターンを開拓できたことを上げています。

 

優秀な個人成績の背景にはコンビネーションの機能がありました。

 

惜しくも優勝を逃したためランキング順位は伸びなかったですが、個人成績、他の選手の成績に影響を与えたことを考慮してこの位置となりました。

6位 石井琢朗・波留敏夫(1996年~2000年)

1998年の横浜日本一時のマシンンガン打線を支えた名物一・二番コンビ。

 

盗塁王、打率.314、最多安打の1番石井琢朗、それを支えるマシンンガン打線の導火線・2番波留のコンビ。

 

後ろに控える、鈴木尚典、ローズ、駒田、佐伯(or中根)、進藤、谷繁と続く恐怖の打線にあって、この1・2番コンビの出塁はチームに勢いをもたらしました。

 

私は当時、テレビで巨人VS横浜戦を経験していました。その際この二人が繋がった瞬間「ヤバイ!!」と思わせる存在がこの1・2番でした。

 

私が初めて意識した1・2番コンビであり、優勝に大きく貢献したことからこの順位に入れました。

5位 高橋由伸・谷佳知(2007年)

球界関係者が口を揃える二人の天才。

 

この年以前は主に中軸を担うことが多かった二人の天才は慣れない1・2番を任せられることに。

しかし天才と呼ばれる二人はどこまでも天才で有り続けました。

 

1番高橋由伸選手は1番打者として出塁を意識し、自己最高の66四球・出塁率.404を記録する一方で初球打ちの打率は.441、自己最多の35本塁打(リーグ2位)も記録。

 

2番谷佳知選手はシーズンを通して高打率を維持してリーグ3位、チームトップの打率.318をマークし、自身3年ぶりの打率3割、3年ぶりの二桁本塁打(10本)を記録。

得点圏打率は3割7分を超えた。盗塁も二桁を記録。

 

チームを2002以来のリーグ優勝に導いたの間違いなくこの二人の存在が大きかったでしょう。 

 

 天才二人を並べるという規格外な1・2番コンビは私が知る限り最高のダブル一番打者です。

 

原監督の第一次政権で、仁志・清水選手に夢見たのはもしかしたらこの形だったのかもしれません。

4位 今岡誠・赤星憲広(2003年)

自由放任に天才的な打撃を見せる1番打者と高い出塁率と走塁能力でチャンスを広げる2番打者という私が好きな1・2番の形はこの二人によって作られました。

 

2002年は1番赤星・2番今岡の形でスタートしたのですが、赤星憲広選手の怪我もあり、二人の形は入れ替わりました。これが怪我の功名になり、二人の配置転換は物の見事にはまりました。

 

1番今岡誠選手は打率.340で首位打者、得点圏打率リーグ最高の.428、年間初回先頭打者本塁打を7本(うち5本は初球)

2番赤星憲広選手は自身初となる3割、61盗塁で3年連続となる盗塁王を獲得。

 

今岡誠選手が仮に初級打ちで凡退しても、その後の赤星憲広選手が粘ったり、出塁してチャンスを広げたりするなどの形もよく見られました。

その結果今岡誠選手は伸び伸びとバッティングをすることが出来、その結果好成績を残すことができました。

 

信頼できる打者が後ろに控えることで自身の才能を発揮するというコンビネーション

それぞれの個人成績、リーグ優勝などを評価してこの順位となりました。

番外編 イチロー・殿馬一人(1995年~2001年)

漫画ドカベンで描かれた架空の1・2番コンビ。

 

このコンビの誕生背景にはイチロー選手の存在があったそうです。 

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イチロー選手は「殿馬が好きだから、絶対オリックスに入れてください! 僕が一番、殿馬が二番!」と打順まで要望し、願い叶って二人は作中で名コンビとして活躍した(『水島新司 夢の途中』より)。 

 

作中で殿馬選手の詳細な成績は描かれていませんが、首位打者1回、盗塁王6度も獲った殿馬選手と天才イチロー選手のコンビ。

 

作中で描かれている二人のコンビネーションはまさに天才による曲芸。

 

イチオシは11巻で殿馬が見せた優勝決定セーフティバント。

イチロー・殿馬の最高のコンビネーションで優勝を勝ち取ったシーンは最高の名場面です。

 

 3位 松井稼頭央・小関竜也(2002年) 

私の中で一番強かった西武ライオンズは間違いなくこの年です。

その中にあってトリプルスリーを達成した史上最強の1番打者松井稼頭央選手とそれを支えた3割打者小関竜也選手の存在はチームの重要な得点源でした。

 

盗塁を狙う松井稼頭央選手をアシストしながらも自身初の打率3割、リーグ最多の43犠打を記録する小関竜也選手の存在は後に続くカブレラ・和田・マクレーンらの中軸の攻撃力を何倍にも増幅させる働きをしました。

 

個人成績、両者のコンビネーション、リーグ優勝など私が西武ファンであることを抜きにしても十分評価される良質な1・2番コンビでした。

 

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2位 片岡易之・栗山巧(2008年~2013年)

個人的な思い出だけなら一位にしたいほど思い入れがある1・2番です。

 

恐らくこれでもかというほどお互いの長所を引き出しあったコンビであると私は思っています。

 

積極的で4年連続で盗塁王に輝いたスピードスター1番片岡易之選手待球型で通算出塁率.378を誇る2番栗山巧選手。

 

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片岡易之選手の盗塁を待った結果、カウントが悪くなっても出塁まで結びつけられる栗山巧選手の存在があったからこそ片岡易之選手は積極的に盗塁が出来ました。

 

逆に片岡易之選手の盗塁を警戒するがあまり、ストレート系のカウントが多くなれば栗山巧選手が狙い撃ち

 

二人の活躍が一番注目されたのは2008年の日本一に輝いた年。

この年初めて年間通して1・2番コンビを組んだ二人はチームを牽引。

 

1番片岡易之選手は50盗塁を記録して2年連続の盗塁王

リーグトップの得点圏打率.382と勝負強さも発揮。

 

2番栗山巧選手は打率.317、チーム3位の49四球、同2位の出塁率.376、得点圏打率.325、72打点を記録。

また、22犠打と17盗塁も記録し何でも出来るマルチな2番打者として活躍。

 

結果二人揃ってリーグ最多安打に輝くなど、文字通りリーグ最高の1・2番コンビとなった。

 

タイプ的には9位で紹介した仁志・清水コンビに近いです。

ですが、コンビネーションで力を引き出しあうケースもあればそうでなもないケースがあることをこの両コンビから学ぶことが出来ました。

 

片岡易之選手が移籍した今、二人のコンビはもう見ることはできませんが、今でもなも私の中でこの二人のコンビは強く印象に残っています。

 

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1位 荒木雅博・井端弘和(2004年~2013年)

1位は文句無しでこの通称『アライバ』コンビしかないです。

 

途中、打順・守備位置の入れ替えがあったもののこの二人のコンビネーションは守備面も含めて球界随一。

強い落合政権を支えた象徴でした。

 

私は個人的に昭和の最高コンビがONなら、平成最強はアライバだと考えています。

 

瞬間最高風速ならこのコンビを超えるコンビもあるかもしれませんが、このコンビのスゴさは長期的な安定感。

 

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他のコンビが僅か1年しか持たないケースがあったりする中、長期にわたってコンビを形成。

 

しかも10年間のうち優勝4度、日本一1度、Aクラス9度ととにかく安定していました。

 

もし、1番セカンド荒木雅博、二番ショート井端弘和、三番ファースト王貞治、四番サード長嶋茂雄という打線があったら、監督は左うちわでシーズンを過ごすことが出来るでしょう。

 

打撃、走力、小技、守備、怪我に強い安定感、豊富な経験。

 

アライバコンビは間違いなく球史に残るスーパーコンビです。


アライバファインプレー集2004〜2007

まとめ

個人で戦うわけではないチームスポーツにおいては選手の組み合わせや戦術によって選手の能力が伸びることもあれば、逆に落ちることもあります。

 

そんな中でお互いが自分を活かしあってチームの勝利に貢献する姿は人と人とが織り成すからこそ生まれるものです。 

 

今シーズンのプロ野球においてここで挙げたコンビ以上のコンビが出てくることに期待しています。

 

それでは、さようなら!

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