自分の覚悟を人に伝えた時に、その全てが理解されることはあまりないだろう。
一度は反対されたり、時に批判を受けることだってある。
それでも曲げない信念が時に人には大切だ。
今日はそんなことを前田健太選手から学んだ覚悟を決める大切さについて話をしていく。
目次
前田健太選手がポスティングを希望
2015年の10月、当時広島東洋カープに所属していた前田健太選手がポスティング制度を利用してのメジャー移籍を示唆した。
その時に報道陣から意思を問われるた前田選手は『コロコロ変わるようなら口にしない』と語った。
マエケン、メジャー挑戦願望示唆「コロコロ変わるようなら口にしない」 :日刊やきう速報
前田選手は日本時代に沢村賞をはじめとした数々の個人タイトルを手にしてきたが、チームを優勝に導くことは出来なかった。
その状況でポスティング制度を利用するのは批判される恐れがある行為であった。
日本では未だに他球団への移籍やメジャー挑戦に否定的な意見を持つ人が少なくない。
また、松坂大輔選手、ダルビッシュ有選手、田中将大選手といった先人たちはチームを日本一に導いた後にポスティングをしている。
そういった例があるだけに前田健太選手がメジャーへ挑戦するのは批判される可能性が十分にあった。
『チームを優勝に導いてからメジャー挑戦』
ファン以上にこのことを望んだのは他ならぬ前田選手本人だろう。
それでも前田選手は夢であるメジャー挑戦の意向を表明した。
色々周囲から言われることを承知の上でメジャー挑戦したい意向を球団に訴えたのだ。
批判を覚悟の上で、誰になんと言われようと変わらぬ覚悟を持っていたからこそ、冒頭の言葉がでたのだろう。
実はちょうど一年前に私はこの言葉を使ったことがある。
会社退職の意向を母に伝えたとき
私は去年の今頃周囲のだれにも事前に相談することなく上司に会社を辞める意向を伝えた。
ただ、事前に母親にだけはやめる意向を上司に伝えると電話で話していた。
その際、母はあなたの人生だからと前向きな発言をしようとしていたが、電話越しの声からは戸惑いと引き留めたいという思いが漏れ伝わってきていた。
私が辞める意向を伝えると上司は年末年始の休みの間にもう一度じっくり考えてみて欲しいと言ってくれた。
ただ、年末年始の休みの間に私の意志は変わることはなかった。
年が明けて明日から仕事という日の夜に母から一通のメッセージが届いた。
『辞めるという話を聞いてから連日連夜眠れない日々が続いています。もう一度考え直してくれないか』と
しかし、私は
『色々考えてくれてありがとう。心配かけてごめん。ただ、辞める意向は変わりません。人に言われてコロコロ変わるような考えなら口には出しません。』
と母に返事を返した。
母が私のことを想う気持ちは当然嬉しかったが、私なりに十分考えての行動だったので、考えが変わる余地はなかった。
私なりの覚悟があったからこそ、前田選手と同じ言葉が咄嗟に出てきたのだ。
その後会社から多少の引き留めがあり、数カ月ほどの交渉があったが、無事私は会社を退職する運びとなった。
前田選手がメジャー移籍と活躍
一方前田選手はポスティング制度の利用を球団から認められ、制度を利用してのメジャー移籍を試みたが、その過程は周囲の想像以上に難航した。
決まらない交渉球団、進まない交渉、メディカルチェックでの悪い診断、買い叩きとまで言われた奇妙な契約。
一時は契約破断・日本残留かとまで言われたが、長い交渉の末晴れて前田選手はメジャーリーガーとなった。
2016年シーズン。
前田選手は周囲の期待を良い意味で裏切る活躍を見せた。
そして数々の出来高契約項目をクリアし、3億円と言われる基本給と合わせると12億円を手にした。
なによりも周囲が驚いたのは前田選手がシーズンを通してローテーションを守り通したことだ。
メディカルチェック時に不安視された肘への不安を打ち消してみせたのだ。
前田選手の表情をみていると憧れの舞台を本当に楽しんでいるように感じる。
覚悟をもって挑んだものだけが得られる充実の時というやつだ。
もちろん今シーズンの成績で満足する前田選手ではなく、来シーズン以降の活躍に向けてまた新たな覚悟をもって臨まれるだろう。
その活躍が今から楽しみで仕方ない。
勝手に前田選手に私を重ねてみた
前田選手がメジャー(海外)に挑戦したのは28歳となる年。
偶然だが、私も28歳となる年に海外生活を送ることになる。
前田選手とは重ねた努力や実績、置かれた立場が異なるので、私と重ねるのは失礼に値する。
だが、あの充実した前田選手の表情を見ていると自分も来てよかったと思えるワーキングホリデーにしたいと強く思うようになった。
一年前の覚悟がただの口だけにならぬよう、日々精一杯活動していく。
それでは、さようなら!